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10代で“スケート界の伝説”になった日本人兄弟「安床ブラザーズ」を知っていますか?《2人で世界タイトル100超》
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph byUNIPHOTO PRESS
posted2021/11/13 17:00
昨今、日本でも特に注目されるようになった“エクストリームスポーツ”。17年前、このジャンルで全米を席巻した日本人兄弟がいる
実際にインラインスケートはアメリカで、エクストリームゲームをけん引する存在だった。スケートボードなどに先駆けて競技としての統一ルールを制定し、ナショナル・インラインスケート・シリーズ(NISS)を発足したのが1994年。翌年にはアグレッシブ・スケーターズ・アソシエーション(ASA)を立ち上げ、この団体がXゲームズの開設へとつながった。
これらの動きを知った由紀夫は、94年、自身が率いるローラーディスコチーム内で一番のインラインスケートの手練れ、そして栄人と武士を連れてNISSに参戦。もちろん、世界との差は歴然としている。欧米勢が見せるジャンプの高さや、トリックの数々に震撼もした。ただ同時に、「自分たちがパフォーマーとしてやってきたことと、方向性としては大差ない」とも実感できた。世界における現在地、そして頂点との距離感を目測できたこの時から、安床家の挑戦が始まった。
12歳、初Xゲームズの衝撃「現実的にムリとちゃう?」
「弟の武士は、当時9歳。何もフィルターを掛けずにトップを見て、『彼らみたいになりたい、勝ちたい』とバシッと受け入れられた年代だったんです。一方の僕は、12歳。ゴールデンエイジの終わりで、『ああなりたいけれど、現実的にムリとちゃう?』みたいな思いもありました」
初めてXゲームズに参戦した1995年の衝撃を、兄・栄人はそう回想する。もとより栄人は、感覚派の弟とは対照的に、直感的に行動を起こすタイプではない。トリックを体得するにしても、どのように手足を動かすと、いかなる原理で身体が回転するのか納得しないと先に進めない理論派だ。
もっとも、「エンジニア体質」だというその性質が、世界の頂点への階段を構築する。夏にアメリカに遠征するたび、トップの技を目に焼き付けた栄人は、持ち帰った知識をもとに、日本で新たな技の開発にいそしんだ。
「ビデオを見て、弟とも『こういう風にやればできるんちゃうか』と話しながら、僕が絵付きでマニュアルを描いて練習していました」
理論派の兄が分析し、感覚派の弟が身体で表現する。異なる資質を持った兄弟が、お互いの持ち味をかみ合わせながら、技を生み出し磨いていった。
「アメリカの大会で、アメリカ人と同じ技をやったら負ける」
ただ、確実に頂点に肉薄しているという実感とは裏腹に、試合でのスコアは思うように伸びない。
「アメリカの大会で、アメリカ人と同じ技をやったら負ける。なんでやろということもチラホラ出てはきました」
あるいは競技会場にいても、自分たちの居場所を確立するのが難しかった。
例えば本番前の練習では、複数のアスリートが同じハーフパイプで、決められた時間内で練習する。ただ、待っているだけでは自分の順番など絶対に回ってこない。
「誰か一人が上がったら、別の一人がハーフパイプに飛び込む。でもそのタイミングを計るのは難しい。父親は下から『はよ飛び込め!』と叫ぶんですが、小さなアジア人が大柄な欧米勢に囲まれて、そんなん、なかなかできませんよ」