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10代で“スケート界の伝説”になった日本人兄弟「安床ブラザーズ」を知っていますか?《2人で世界タイトル100超》
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph byUNIPHOTO PRESS
posted2021/11/13 17:00
昨今、日本でも特に注目されるようになった“エクストリームスポーツ”。17年前、このジャンルで全米を席巻した日本人兄弟がいる
手応えはあるものの、現実的には種々の壁が立ちはだかった。長男としては、毎年夏になると海外遠征に出かける生活が、家計を圧迫しているとの自責の念も覚えはじめる。「僕と弟と父親の旅費だけで馬鹿にならないのは、子どもながらに感じていた」。実際に、「後に蓋を開けてみたら、借金だらけだった」とも明かす。
「もう少しで、世界の頂点に届きそうな気もする。でも家のことを考えたら、競技生活は諦めた方がいいのでは……」
そんなことを考えながら練習していた16歳のある日、着地に失敗し足を折った。
しばらくはスケートシューズも履けず、競技に対しても悶々とした日々を過ごす。それでも必死にリハビリした結果、ぎりぎりで夏のXゲームズには間に合った。
その時、競技会場を訪れた栄人の目に、過去とは異なる種々の景色が映ったという。
「復帰戦がXゲームズだったんですが、久々に試合会場で仲間たちの顔を見たら、すごく嬉しかった。お客さんがたくさんいるのも楽しいなぁと思って。初めて、この競技をして幸せと思ったんでしょうね。プレッシャーもなく、楽しいという気持ちだけで滑っていたら優勝して。今映像を見ても、伸び伸び楽しそうに滑っているなと思うし、それをちゃんと評価してもらえたことにも感謝しました」
勝ちすぎて貼られた「日本人は強い」というレッテル
かくして一足先に頂点に立った栄人の背を追うように、武士も2000年頃から急成長し、2人はあらゆる競技会で表彰台の中央を独占していく。すると自分たちを取り巻く空気が、明らかに変わりだしたことを栄人は肌身で感じていた。
それまで苦労していた本番前の練習でも、「僕が水を取ろうと立ち上がっただけで、他のスケーターたちの動きがパッと止まって、ハーフパイプを開けてくれるようになった」という。
さらには採点面でも、「今日はちょっと不調やったな」と思っても、予想以上の点がつくことも多々あった。
「ヤストコ兄弟は強い、日本人は強いというレッテルを貼られたというか、ヘタなことはできないプレッシャーを感じるくらい、周りが認めてくれたと思います」
2004年のロサンゼルスの熱狂も、そのレッテルとプレッシャーの最中にあった。
父親が立ち上げ、自身が発展させたスケートパークから巣立った四十住も含め、今や日本は“エクストリームスポーツ大国”の名声を確固たるものとしている。
その先駆けである安床兄弟の兄は、第一人者としての責任感を、しかと胸に刻んで言った。
「いい意味でも悪い意味でも、僕らがインラインスケートで勝ち続けたことで、スケートボードやBMX、今ではスノー系も含めて、日本人が注目される状況を世界に作ってしまった。だから今後も、日本人のアスリートを生み出し続けるのは、僕らのミッションかなと思っています」
それが、ヤストコ兄弟が作ってきたものへの責任の取り方なのかな――。
述懐する温和な語り口調に、パイオニアとしての矜持が滲んだ。
<後編へ続く>