マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
《追悼》若生正広監督(元東北高)「なあ、有…お前なら絶対に投げられる」甲子園11回の名将が高1のダルビッシュ有に見た夢
text by
![安倍昌彦](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/14 11:04
![《追悼》若生正広監督(元東北高)「なあ、有…お前なら絶対に投げられる」甲子園11回の名将が高1のダルビッシュ有に見た夢<Number Web> photograph by Sankei Shimbun](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/0/d/700/img_0dd19c19aca5e6bd32c72e7b83bd1a62345137.jpg)
7月に70歳で亡くなった若生正広・元東北高監督(左)。右は高2のダルビッシュ有(2003年撮影)
その頃は、もう車椅子を使った生活で、野球の現場でも、いつも監督室の中にいて、選手を指導する時も、監督室の窓ガラスをガラッと開けて、あの声を飛ばすのだ。
その時も、実戦の中で持てる素質をなかなか発揮できないことを指摘。かなり激しい言葉で活をいれた、その直後だった。
「あいつで甲子園って、夢見たこともあったんだ。あいつがここに入るって聞いて、上手いのが何人もついてきたんだかんね。でもなぁ……人間には、合う、合わねっていうの。環境が人を伸ばすとか、伸ばしきれねとか、あんのかなぁ。ああ、わかんね」
ADVERTISEMENT
優しくなったなと思った。自分のしていることに疑問を持って、それを人に問いかける……そういうことから遠い人だと思っていた。
あれだけ自由にならない体をなんとか球場に、グラウンドに運んで、野球の現場に臨む。これでもかと自らをいじめるようにして現場に臨む姿が、痛々しい時もあった。
ガンで亡くなられたと聞いて……繰り返し病魔を与え続けたなにものかを恨みたくもなった。
それほどに、若生監督の後半生は壮絶なご自分との闘いだったように思う。
ダルビッシュはどうして東北高に進んだの? 今でもときどき、そんな質問をされる。
私が聞いたことがあるだけで、4つも5つも「理由」があって、本当のところはどうなのか。
「墓場まで持っていかなきゃなんないこと、いーくらでもあるっちゃ」
明かしてはいけないことは、どっから突っついても、決して明かさない方でもあった。そんなミステリアスな一面も隠し持っておられた本物の「闘将」が、まだ「70」で旅立たれた。合掌。
![](https://number.ismcdn.jp/common/images/common/blank.gif)