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《追悼》若生正広監督(元東北高)「なあ、有…お前なら絶対に投げられる」甲子園11回の名将が高1のダルビッシュ有に見た夢
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/14 11:04
7月に70歳で亡くなった若生正広・元東北高監督(左)。右は高2のダルビッシュ有(2003年撮影)
いつの間にか、そばの椅子に長身、白いユニフォーム姿が腰かけている。
「雄平が100だったら、お前は150とか、200のピッチャーになるんだぞ……お前ならなれる、絶対なれっからなぁ」
諭すように、言い聞かせるように、時には「呪文」にも聞こえるように、若生監督が語りかけていたその“長身”が、1年生の秋を迎えていたダルビッシュ有投手だった。
彼は、若生監督の語りになんの反応もしなかった。
威勢がよいだけの「ハイッ!」を返すどころか、うなずきもせず、ピクリとも表情を動かさず、ただクールダウンのキャッチボールを繰り返す高井投手の姿に、じぃっと見いるばかりだった。
「面白いもんがあるんだけど、見る?」
「面白いもんがあるんだけど、見る?」
「死闘」を終えて、若生監督が監督室に誘ってくださった。仕事机の引き出しを開けて、「ほれ……」と見せてくれた晴れ着姿の若い女性の写真。美しいお嬢さんが、四角いプリントの中で艶然とほほえむ。
「えっ? まさか、娘さん?」
「まーさかは、ねぇだろがよ~」
こんな顔して笑うこともあるんだ……と思った。若生監督は怖い人だと思っていたからだ。
「こんなのもあるんだ」
出てきたのは、成績表だ。見て驚いた。ほぼ「全優」である。
「すごいでしょう!」
すっかり「お父ちゃん」の顔になっていた。
電熱器の上にじかに置いて炙ったスルメで、ワンカップをごちそうになりながら、苦労話のお相手をさせていただいた。
「内緒だよ、ここだって、学校の中なんだから……」
豪放磊落なように見せて、実はいろいろ気遣ってくれて。人間らしい多面体の方だった。
「人間には合う、合わねって、あんのかなぁ。わかんね」
「ほんとはなぁ……あいつは九州に置いてきたほうがよかったのかなってな、そう思うときもあんのよ、最近……」
九州国際大付属高から埼玉栄高の監督に転じて何年かして、本格派の素質の高さが評判になっていた投手の取材に伺った時だ。