酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
15歳の王貞治や原辰徳、KKに松井秀喜や清宮幸太郎…「1年生の活躍」は夏の甲子園を彩る華だが、見守る配慮も心の片隅に
posted2021/08/14 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO,Hideki Sugiyama
総じて高校野球ファンは「判官びいき(弱いものの味方をする傾向)」と言ってよいのではないか。地方の部員数が少ない学校や、初出場校が活躍すればファンが湧く。1年生選手の活躍が注目されるのも、判官びいきの気持ちが働くからだろう。
8月11日の横浜-広島新庄戦で逆転サヨナラ3ランホームランを打った横浜の1年生、緒方漣にも今後、注目が集まるだろう。
「1年生選手」が注目されるのは主として夏の甲子園だ。中学を卒業して4カ月ほどのあどけなさが残る“1年坊主”の活躍が、ファンの心の琴線に触れるのだ。過去の「1年生選手」の活躍を振り返ろう。
都大会でノーノー、翌年の選抜で優勝投手
昭和の野球ファンが「1年生の活躍」と聞いて最初に思い出すのは、現ソフトバンクホークス会長の王貞治ではないだろうか。
1956年、東京都大会で新宿高相手にノーヒットノーランを記録した早稲田実業の王は、3年生のエース大井孝夫を差し置いて甲子園2回戦の岐阜商戦に先発。1-8で敗れたもののノーワインドアップ投法で一躍注目された。翌1957年春の甲子園では、王は優勝投手となり人気を博した。巨人入団後は一塁手に転向し、NPB史上最強の打者になったのは周知のとおりだ。
1968年夏の甲子園では静岡商の1年生左腕、新浦壽夫が快投を演じた。1回戦から1人で投げぬいた新浦は決勝戦で大阪の興国に0-1で惜敗し準優勝投手となったが、韓国籍だった新浦は当時はドラフトを経由する必要がなかったため、大会終了直後からプロ野球球団の争奪戦になり、高校を中退して巨人に入団が決まった。新浦は巨人、大洋で先発、救援で活躍。116勝39セーブを挙げている。
親子鷹で甲子園に出た原辰徳
1974年夏の甲子園では、東海大相模の1年生、原辰徳が話題となった。
監督は、父の原貢。三池工を初出場初優勝に導いたのちに東海大相模を率いた名将だ。この大会では5番三塁手として17打数7安打と打ちまくる。さわやかな表情と溌溂としたプレーで「若大将ブーム」が巻き起こった。原は3年連続で夏の甲子園に出場、東海大を経て巨人に入団し、中軸打者として活躍。現在は巨人監督。野球殿堂入りも果たしている。