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なぜ楽天・涌井秀章(34)はウエートトレーニングをピタリとやめた? 本人が明かすイチローとダルの影響
posted2020/11/07 11:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
KYODO
楽天への移籍は前向きなものとなったか?
オンライン取材に応じてくれた涌井秀章にそう向けると、パソコンの画面上で小さく頷き、端的に、控えめに答えた。
「まあ、結果的にはそうなりましたね」
昨年12月に金銭トレードで楽天に移籍した涌井は、今年、34歳を迎えた。
「ベテラン」と分類される年齢に差し掛かりながら、シーズン開幕から8連勝と楽天投手陣の屋台骨を支えた。チームトップの11勝は自身4年ぶりの2桁勝利であり、4度目の最多勝にも大きく近づいている。実現すれば、西武、ロッテ、楽天と、3球団でこのタイトルを獲得した史上初の投手となる。
通算144勝。最多勝のほか沢村賞1度、ゴールデングラブ賞4度と、日本プロ野球で一時代を築いた男は、新天地で鮮やかな復活を遂げたわけである。
ただ、今に至るまで痛みも伴っている。涌井には、身を削ってまで得た教訓があった。
「そこに気づくのに、10年くらいかかってしまって。そういう後悔もしながら、今があるのかなって思います」
その「後悔」とは、ウエートトレーニングを指している。涌井は2010年あたりから、それを導入した。その年でいえば5年連続で2桁勝利を挙げており、いわば「絶頂期」と表現してもおかしくないほど、ハイパフォーマンスを披露していた時期だ。
「体がおかしくなってしまった」
投手とは敏感な生き物である。
時計のムーブメントを仕上げていくように、一つひとつの部位に細心の注意を払いながら投球フォームを構築していくため、ちょっとした変化にも気を配る。
ウエートを始めてから違和感はあった。事実、それはパフォーマンスにもはっきりと表れてしまっていた。
「どんどん遡っていくと、正直、ウエートを始めたくらいから、体がおかしくなってしまったというか」
2011年は9勝。12年は抑えに配置転換され、13年には中継ぎに回った。ロッテ時代の15年に最多勝を獲得し、16年も10勝をマークしたとはいえ、この期間も涌井は、ずっと「気持ち悪さ」を抱えながら投げ続けていたことになる。
「結局、ウエートが自分には合わないなって。だから、一切やらなくなりました」