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《追悼》若生正広監督(元東北高)「なあ、有…お前なら絶対に投げられる」甲子園11回の名将が高1のダルビッシュ有に見た夢
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2021/08/14 11:04
7月に70歳で亡くなった若生正広・元東北高監督(左)。右は高2のダルビッシュ有(2003年撮影)
九州国際大付属高でも、その後の埼玉栄高でも指導をされた若生監督だが、なんといっても私の中で「東北高校の若生監督」(甲子園出場7回、10勝)が、いちばん「若生監督」らしい若生監督ということになろう。
雑誌の連載企画「流しのブルペンキャッチャー」で、時のドラフト1位クラスの怪腕・剛腕のピッチングをブルペンで捕球し、インタビュー取材をする……そんなことを始めたのは2001年からだった。その翌年、当時高校ナンバー1左腕と評された東北高・高井雄平投手(現ヤクルト外野手)にお願いすることになった。すでにその春、最速151キロをマークしている剛腕だった。
3年生の夏を終えて「休み肩」状態の高井投手は、軽い肩の調子にまかせて、ビュン!ビュン!と、MAXのパワーでものすごいスピードボールを投げ込んできた。
「ほんとに受けてるんだね……」
私の後ろのネット越しに言葉をかけてくれた若生監督は、なかばあきれていた。「流しのブルペンキャッチャー」といっても、キャッチボール程度のことなのかと考えておられたそうだ。
「保険とか、どうなってるの?」
そう言われて初めて、ああ、保険っていう手があるな……と思った。生身のカラダを張った、ある意味、命がけの取材に保険もかけていないうかつさを、ものすごいスピードボールを受けながら、内心恥じたものだ。生来のズボラさで、いまだに保険はかけていないままである。
「148キロ出てるわ……」
ちょっと待って、安倍さん……と、若生監督がスピードガンを持ってきて、測り始めた。
「雄平、遠慮することねぇからな! この人は、雄平の剛速球受けるために、わざわざ東京から来たんだから。手加減したら、失礼だっちゃ! 構わねっから、ガンガンいってやれ!」
バケツの底を叩くような声が室内練習場に響きわたり、煽られた高井投手がマウンドでニヤッとする。