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<北の指揮官たちが語る>
駒大苫小牧「まさかのVが遺したもの」

posted2019/08/20 15:00

 
<北の指揮官たちが語る>駒大苫小牧「まさかのVが遺したもの」<Number Web> photograph by KYODO

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中村計

中村計Kei Nakamura

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KYODO

2004年夏、駒大苫小牧により深紅大旗が初めて北の大地に渡ると、地元は大喝采に包まれた。不可能と思われていた北海道勢の甲子園制覇が、何をもたらしたか。同じ北の名将たちに問う――。(Number984号掲載)

 15年前のあの日、北海高校監督の平川敦は、高校・大学のキャンパスに併設するグラウンドで練習していたという。

「昔のことはあんまり覚えてないけど、あの瞬間のことだけは鮮明に覚えてますね」

 2004年8月22日、午後3時55分――。キャンパスや近隣の住宅から歓声が上がった。NHKで放送された全国高校野球選手権大会決勝、駒大苫小牧対済美(愛媛)の札幌地区における瞬間最高視聴率は46.2%を記録。およそ2人に1人が観ていた計算になる。

「あ、勝ったんだ……と。複雑でしたね」

 その日まで北海道の野球をけん引してきたのは北海だった。1928年夏のベスト4、1963年春の準優勝と、春夏ともに道勢として最高成績を収め、道内における人気も断トツだった。その威光が、その日を境に一気にかすんでしまった。

「でも、そのときの自分と、香田先生がやってきたことを考えると、しょうがないなと思いましたね」

 駒大苫小牧を率いていたのは、平川の同級生でもある香田誉士史。平川は香田を「香田先生」と言ったり、「香田」と呼んだりした。

 平川が北海の監督に就任したのは'98年春だ。そこから'04年秋にかけ、香田率いる駒大苫小牧とは6度対戦した。最初の3戦は3連勝し、4戦目以降は逆に3連敗だった。駒大苫小牧の隆盛期と、北海の低迷期がちょうど重なっていた。平川が話す。

「就任当初は前任の大西(昌美)先生の貯金で勝てた。でも、それが底をついたとき、どうすればいいかわからなくなった」

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