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候補は5駅…「国立競技場どこが“最寄り駅”か」問題 JR千駄ケ谷駅に中央線快速が止まらないナゾ《東京五輪》
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2021/07/23 11:03
JR千駄ケ谷駅。新国立競技場へは徒歩で7分ほど。東京五輪に向けてリニューアル工事が行われた
ともかく、千駄ケ谷駅から南西、明治通り方面にかけてのエリアは国立競技場などがある神宮外苑とはまったく違う空気が漂っている。緑豊かでスポーツマンようこそ!と言わんばかりの神宮外苑と、静かで時の流れもどこかゆったりとした古き住宅地と商店街。将棋会館や能楽堂といった伝統文化にまつわる施設があるのも、この一帯の街の雰囲気を特徴づけている。
体育館や国立競技場、神宮球場、つまり神宮外苑側と住宅地側のコントラスト。千駄ケ谷駅のこれは、いったいどういうことなのか。ここで千駄ケ谷駅の歴史をたどってみることにしよう。
“117年前”の千駄ヶ谷駅には何があった?
千駄ケ谷駅が開業したのは、1904年のことである。当時は中央線ではなく、甲武鉄道という私鉄の駅だった(甲武鉄道は1906年に国有化されている)。このとき、千駄ケ谷駅の駅前には何があったのだろうか。
当時、千駄ケ谷駅前には徳川家達邸があった。徳川家達は徳川宗家の第16代当主。明治初期、1877年にこの地に家族で転居しており、あの大河ドラマでもおなじみの天璋院篤姫もここで最期まで暮らしている。そして国立競技場などがある神宮外苑はというと、青山練兵場という陸軍の施設であった。
神宮外苑は正しくは明治神宮外苑、明治神宮の敷地である。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祀った神社で、1920年の創建だ。だから、まだ明治時代の1904年には神宮外苑などあろうはずがない。開業当時の千駄ケ谷駅の目の前には青山練兵場、陸軍の兵隊たちの訓練施設が広がっていたのである。