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候補は5駅…「国立競技場どこが“最寄り駅”か」問題 JR千駄ケ谷駅に中央線快速が止まらないナゾ《東京五輪》 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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posted2021/07/23 11:03

候補は5駅…「国立競技場どこが“最寄り駅”か」問題 JR千駄ケ谷駅に中央線快速が止まらないナゾ《東京五輪》<Number Web> photograph by Masashi Soiri

JR千駄ケ谷駅。新国立競技場へは徒歩で7分ほど。東京五輪に向けてリニューアル工事が行われた

 この青山陸軍練兵場は、1886年に日比谷から移転している。日比谷練兵場の跡地は現在の日比谷公園だ。日清・日露の両戦争も青山練兵場で訓練を積んだ兵隊たちが戦った。日露戦争後には戦勝記念の博覧会を開催する予定もあったという(実際にはポーツマス条約で賠償金を獲得できず、博覧会も開かれなかった)。そして明治神宮の建設が決まると外苑の敷地になることが決まり、練兵場は代々木に移転した。代々木練兵場の跡地はワシントンハイツを経て1964年のオリンピックで選手村となり、今では代々木公園だ。歴史はつながっているのである。

中央線の始まりは「軍事輸送」だった

 ともあれ、そんな練兵場を横目に開業当時の中央線は走っていた。ただ、実は千駄ケ谷駅は中央線が甲武鉄道として開業して練兵場の脇を通るようになってから数年遅れての開業であった。この甲武鉄道の開業にも、青山練兵場が大いに関係している。甲武鉄道(中央線)が新宿から都心方面へ乗り入れるにあたり、当初は今とはまったく違うルートが計画されていた。ざっと言えば新宿御苑よりも北、現在の都営新宿線のあたりを通るルートだ。最初はその計画で決定するも、着工が遅れている間にそのルートでの建設が難しくなってしまう。そこで現在の中央線のルートに切り替えられたのだが、背景にあったのが青山練兵場。その脇を通過することから、軍事輸送のための駅を設けやすいということになったのだ。

 実際、甲武鉄道が建設を進めているさなかに日清戦争開戦の機運が高まり、いち早く練兵場まで開業するよう陸軍から求められている。新宿~青山軍用停車場間で開業したのは1894年9月23日。開戦の約2カ月後のことであった。青山軍用停車場は、いまでいうと千駄ケ谷~信濃町間のほぼ中間。開業の6日後から兵隊の輸送が行われている。

 青山軍用停車場は1896年をもっていったん役割を終えるが、その後もほぼ同じ場所に仮の停車場が2度開業している。最初は1897年で、英照皇太后の大喪の礼、2度目は1912年で明治天皇の大喪の礼である。どちらも霊柩列車の始発駅であった。

そして国立競技場の“前身”ができた

 このように、最初は千駄ケ谷駅は存在すらしていなかった。国立競技場も千駄ケ谷駅もない、そうした時代がほんのわずかだがあったのだ。

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