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候補は5駅…「国立競技場どこが“最寄り駅”か」問題 JR千駄ケ谷駅に中央線快速が止まらないナゾ《東京五輪》
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2021/07/23 11:03
JR千駄ケ谷駅。新国立競技場へは徒歩で7分ほど。東京五輪に向けてリニューアル工事が行われた
そして1904年に千駄ケ谷駅が開業。明治神宮外苑は関東大震災を経て1926年に完成した。それに先立つ1924年には明治神宮外苑競技場も竣工。いわば国立競技場の“前身”だ。1943年、出陣学徒壮行会が行われた、その競技場である。
戦後、明治神宮外苑競技場はGHQによる接収を経て返還され、1953年にはサッカーワールドカップの予選、日韓戦にも使われている。そして1958年のアジア大会が東京で開催されることが決まると、国立競技場に建て替えられることになった。その後は、1964年のオリンピック、そしてまたも建て替えられて現在のオリンピックスタジアムという流れである。
この間、特に千駄ケ谷駅には大きな変化があったわけではない。むしろ、開業当時は近くに練兵場があるくらいの小さな駅として生まれたに過ぎず、勝手に練兵場が移転して競技場ができて、その競技場が何度かの変遷を経つつもオリンピックスタジアムになってしまった、というほうが正しいだろう。オリンピックと同じ年、1964年8月には首都高新宿線が開通、“駅を出たら高速道路”という構造はそのときからのものだ。
ちなみに、将棋会館が千駄ヶ谷にできたのは1961年、国立能楽堂は1983年だ。将棋会館ができた頃の千駄ヶ谷には、連れ込み旅館がたくさんあったという。米兵が暮らしたワシントンハイツから程よく離れた千駄ヶ谷は、そうした場所だった。それが1964年のオリンピックで姿を消し、ファッションの街・原宿の後背地としてアパレル関係の企業も増えた。良くも悪くも、千駄ケ谷駅は小さな駅のままでオリンピックという歴史に左右されてきた存在なのである。
(写真=鼠入昌史)