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日韓W杯後、中村俊輔のセリエ挑戦。
あの夏の南イタリアで感じた焦熱。 

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杉山孝

杉山孝Takashi Sugiyama

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photograph byGetty Images

posted2020/05/07 11:50

日韓W杯後、中村俊輔のセリエ挑戦。あの夏の南イタリアで感じた焦熱。<Number Web> photograph by Getty Images

日韓W杯落選を経てのレッジーナ加入。ここから中村俊輔は大きな成長曲線を描いていく。

取材者が街を歩けば「ナカムーラ!」

 そんなクラブに迎えられた極東の島国からやって来た新背番号10は、市民の期待を最大限にくすぐった。日本人自体が歓待され、取材者が街を歩けば「ナカムーラ!」と方々から声が飛ぶ。

 練習場で顔見知りになったおじいちゃんは、ばったり会った街中でジェラートをご馳走してくれた。海上にせり出した浜辺の素敵なレストランも、本来会員制なのだが、日本からの取材陣には特別に扉を開いてくれた。

 W杯決勝会場となった横浜FMのホームと比べてはいけないが、グラウンドに負けないくらい、スタジアムも簡素なものだった。試合がない日に周囲を歩いても、数えるほどしかない商店で客を見かけることはなし。壁の落書きと、風に吹かれるごみが、わびしさを増していた。

 イタリア北部とは、確かに格差が感じられた。2002-03シーズンのセリエAで、ローマ以南のクラブは3つのみ。その分、人々の期待は反比例的に高まっていたのだろう。

豪華陣容インテルを迎えての一戦。

 そんなオレステ・グラニッロが変貌した。9月22日、レッジーナはホーム初戦でインテルを迎え撃った。

 当時の新聞を開くと、レッジーナはこの節でリーグ3位となる観客を集めたと記されている。5万人超が集ったミランとローマとは差があるが、小さな器に詰め込まれた2万6638人は、かなりの「圧」を発していた。

 対戦相手も興奮度を高めていた。ゴール前には、ユーロ2000準優勝GKのフランチェスコ・トルド。その前の4バックではハビエル・サネッティではなく、同い年のファビオ・カンナバーロがキャプテンマークを巻いていた。中盤や前線にも、マティアス・アルメイダやクリスティアン・ビエリ、アルバロ・レコバといった各国代表がそろっていた。

 そんな難敵相手に、まさにホームで背を押されたレッジーナは勇敢だった。俊輔も開始早々からスルーパスを狙い、自陣からサイドに流れたFWへと正確なロングパスを通した。レッジーナでそんなボールを送れるのは、彼しかいなかった。

【次ページ】 レコバと俊輔の左足がうなる。

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