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日韓W杯後、中村俊輔のセリエ挑戦。
あの夏の南イタリアで感じた焦熱。 

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杉山孝

杉山孝Takashi Sugiyama

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photograph byGetty Images

posted2020/05/07 11:50

日韓W杯後、中村俊輔のセリエ挑戦。あの夏の南イタリアで感じた焦熱。<Number Web> photograph by Getty Images

日韓W杯落選を経てのレッジーナ加入。ここから中村俊輔は大きな成長曲線を描いていく。

「ピルロがいたクラブだよね?」

「ピルロがいたクラブだよね?」

 イタリアへの挑戦が決まった中村俊輔は、そう言って目を輝かせた。その後に世界に名を轟かせるマエストロながら、当時はまだイタリア代表にも入っていなかった選手の名を出されて、こちらは目をしばたかせるしかなかった。

 世界最高峰のリーグは当時、あまりにも遠かった。

 俊輔のセリエA挑戦取材のため訪れることになった真夏の南イタリアは、刺激的だった。イタリア半島最南端の空港では、滑走路の真ん中が飛行機の終着点だった。移動用のバスもなく、マシンガンを持った兵士が見守るなかを空港の建物まで歩いた。

 到着した街中では、スクーターに乗った知り合い同士が車線を挟み、道路のど真ん中でおしゃべりに興じていた。とがめる者はいない。現地の子どもと一緒に遊んだシチリア島を望むビーチは、とても美しかった。事件か事故かは知らないが、その前日には死体が浮かんでいたと聞かされたのは、海水を全身にたっぷり浴びた翌日のことだった。

夏とは違う、カルチョが醸す熱気。

 先行してレッジーナのホームタウン、レッジョ・カラブリアに着いていたスポーツ紙の記者からは、つい数年前までマフィアの抗争があったと聞いていたが、やや猥雑ではあるものの、街は明るい空気に包まれていた。海辺の道は夜中までライトアップされて、多くの人が散歩を楽しんでいた。

 その街が、夏とは違う熱気をはらんだ顔を見せることがあった。引き金になるのは、カルチョである。

 平日の昼間から、立派な大人たちが飽きもせずにグラウンドに目を凝らしている。地面を掘り下げただけのコンクリートで囲われた練習場と、クラブハウスとも呼べないような貧相な建物。その箱庭のような場所で狂信的な視線に射抜かれながら、レッジーナの選手たちは1年ぶりのセリエAに挑戦しようとしていた。

【次ページ】 取材者が街を歩けば「ナカムーラ!」

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