“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
東京Vから青森山田、そして湘南へ。
神谷優太が全国選手権で流した涙。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2016/01/15 11:00
憧れの柴崎岳と同じ10番を背負って全国選手権に臨んだ。卒業後は湘南ベルマーレへの加入が内定している。
青森へ赴く、迷いと決断。
ユースに昇格する時、「青森山田に行きたい」と口にした。だが、迷った結果、「このままでいい」と、それまで同様に、保守的な考えを優先した。しかし、気がついたら自分の高校生活は残り2年を切っている。同時に東京Vユースでもプレーの波があり、スタメンから外れてしまうこともあった。現時点で自分が柴崎岳と比べてどうなのかと考えた時、出た結論は「このままでは一生追いつけない」ということだった――。
もう決断のときは迫っている。そう思う自分の背中を最後に押したのは、自らの「向上心」だった。
「このままここにいても、『新しい自分』は生まれてこないと思った。新しい環境、それも『劇的に違う環境』で自分をイチから鍛え直さなければ、先に進めない。そう考えた時、今しかない、青森山田に行く決断をするしかないと考えた」
高2の夏、彼は密かに決断を下した。親にも伝え、クラブにも伝えた。だが、ユースの仲間達には伝えなかった。
「もし伝えてしまったら、みんなはいろんな声を掛けてくれると思った。でも、その声で僕の決断を揺るがせてしまうかもしれないと思った」
「自分の決心が揺らぐことが怖かった」
本当はみんなに伝えたかった。親友と呼べる存在には特に。しかし、自分にとっては温かいはずの声が、青森山田に行くと決めた覚悟を、これまでのような「このままでいい」という方向に持っていかせてしまうのではないか。自分の中にあった弱さが顔を出さないように、彼は周囲に言うことをやめた。
辞める日が近づいてくるにつれて、罪悪感と覚悟の狭間に揺らぐ自分がいた。
「ジュニアからやってきたメンバーもいるし、僕もみんなから離れるのは寂しかった。それ以上に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、自分の成長のために行かなければならないという覚悟もあった……。本当に辛かったけど、仕方がなかった……」
年が明けた1月に青森に行き、青森山田高校に編入することが決まった。12月に入り、ユースの練習に姿を見せなくなったことで、仲間は「異変」に気付き始めた。心配した仲間からの電話に出ず、LINEの返事も返さなかった。
「返したかったけど、良い言葉が返ってきて、自分の決心が揺らぐことがまだ怖かった。もっと話したい、伝えたい。嫌われたくない……。そういう思いはあったけれど、嫌われても仕方がない。たとえ嫌われたとしても行くしかないと思っていた」