“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
東京Vから青森山田、そして湘南へ。
神谷優太が全国選手権で流した涙。
posted2016/01/15 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Yohei Osada/AFLO SPORT
2015年1月。
神谷優太が青森の地を踏みしめた時、そこは一面の銀世界だった。
山形県出身で、雪景色は見慣れている。しかし、「山形とは雪の量が全然違うし、小学校途中から東京に住んでいるので、正直驚き以外なかった」。それは、これまで見たことがない景色だった。
「辺り一面真っ白で、その日は猛吹雪で、数メートル先も見づらい状況だった。厳しい環境がありそうだというワクワク感と、不安感の両方があった。もう戻れない、やるしかないという決意がついた」
ここから自分の新たなサッカー人生が始まる。高揚感と不安、そしてその後から来る不断の決意。17歳の彼はいろいろな感情に支配されながら、その一歩を力強く踏み出した。
その一歩を踏み出すまでは、本当に苦悩の日々だった。今いる環境で頑張り続けようと思っても、テレビで観た「あの衝撃」がずっと頭を離れなかった。
青森山田の10番、柴崎岳を見た衝撃。
それは小学6年生の時だった。第88回全国高校サッカー選手権大会。準決勝、決勝をテレビで見ていた彼は、青森山田高校の背番号10に目を奪われた。
「もう衝撃というか、感動というか、驚きというか……。もう言葉では言い表せないくらいでした。柴崎岳選手のプレーはもう自分の中で『魔法』でした。『いつ見たんだ?』というタイミングでパスを出すし、ショートパスとロングパスの使い分け、ボールの落ち着かせ方、判断スピード。すべてが僕の『理想』だった」
自分の理想を体現している選手が目の前にいる。それに刺激を受けない訳はなかった。
「青森山田に行って、柴崎岳のようになりたい――」
元々、行動力がある男だった。小4の頃に地元・山形でTV観戦した全日本少年サッカー大会で優勝した東京Vジュニアのプレーに憧れると、翌年、母親と一緒に上京し、東京Vジュニアに入団した。そして東京Vの下部組織で力を磨いていくにつれ、抱いた憧れはより大きくなり、自分の中では抑えきれなくなっていた。
気がつけば、高校2年生になっていた。東京Vジュニア、ジュニアユース、ユースと進み、端から見れば、エリート街道まっしぐらだった。この間、彼はU-16日本代表、国体優勝と華々しい成果も残している。