“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
東京Vから青森山田、そして湘南へ。
神谷優太が全国選手権で流した涙。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2016/01/15 11:00
憧れの柴崎岳と同じ10番を背負って全国選手権に臨んだ。卒業後は湘南ベルマーレへの加入が内定している。
仲間と別れ、踏み出した一歩。
そして、青森に発つ3日前に、彼はユースの練習グラウンドに現れた。そして、仲間の前でこう伝えた。
「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」
この時、彼はずっとうつむいたままだった。「青森山田に行く」という言葉も口に出すことができなかった。
「みんなの視線を見るのが怖くて、顔を上げられなかった――」
そして、その3日後、彼は吹雪の青森の地に降り立った。一歩を踏み出した以上、もう後ろは振り返らない。
確固不抜――。
柴崎岳と同じ、背番号10。
「向上心」という拠り所を胸に抱いて、彼は力強く前進していった。青森山田での日々が始まって2カ月後、福岡県で開催されたサニックス杯国際ユース大会で、青森山田の一員としてプレーする彼の取材をした。そして、ユニフォーム姿になった彼を見て、驚いた。その背中には柴崎岳が背負っていた10番が。
「彼の真摯な姿勢、高い向上心、そして実力。すべての面から見ても、10番にふさわしいと思って託した」
青森山田・黒田剛監督は加入して2カ月足らずの彼に10番を与えた。それは彼に対する信頼と、人間性への最大限の評価の表れだった。
「この番号に込められた意味は、物凄く理解しているつもりです。実力、努力、責任、信頼。すべての面で自覚を持って行動しないといけないと思っています」
彼はそれをしっかりと受け取り、より覚悟と向上心に火を点けた。そして、試合をこなすごとに、青森山田の10番にふさわしい存在感を放つようになった。選手権が始まる前には湘南ベルマーレへの入団が内定。心身ともにエースとして成長をしていた。
そして迎えた第94回全国高校サッカー選手権大会。彼にとって、「最初で最後の選手権」がやってきた。