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4-1-4-1は東福岡の“信念”である。
17年ぶり選手権制覇への道のり。

posted2016/01/12 12:25

 
4-1-4-1は東福岡の“信念”である。17年ぶり選手権制覇への道のり。<Number Web> photograph by Sho Tamura/AFLO SPORT

「最高の舞台で胴上げしてもらえた」と語る森重監督。インターハイ連覇でも拒んだ胴上げが、ついに実現。

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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Sho Tamura/AFLO SPORT

【4-1-4-1】

 伝統の真紅のユニフォームを身に纏う、“赤い彗星”東福岡において、このフォーメーションは「信念」そのものだ。

 この信念を紡ぎ出し、受け継いできた東福岡において、欠かすことの出来ない人物が2人いる。

 現在、総監督を務める志波芳則と、現監督の森重潤也。

 この2人のメインキャストが導き出した、選手権優勝までの日々とは一体どういうものだったのか。

 歴史の始まりは、今から41年前に遡る――。

 1974年、志波は東福岡高校サッカー部監督に就任。当時も東福岡は男子校で、決して選手の態度や能力も良い状態とは言えなかった。だが、「このチームを絶対に日本一にする」という志波の尋常ならざる情熱と手腕が、徐々にチームを強くしていく。その過程の中でベースとなっていったのが【4-1-4-1】の東福岡のサッカーである。

「68mの幅を最大限に使う。サイドを幅広く使うことで、相手が揺さぶられて隙が出来る」(志波)

 そして、1993年度の第72回全国高校サッカー選手権大会において、志波率いる東福岡は小島宏美(元日本代表)、山下芳輝(元仙台など)ら1年生を主軸にしつつも、初の全国ベスト4にまで駒を進めることとなった。

 しかし、晴れ舞台となるはずだった準決勝の国立競技場は、一気に悪夢の場と化す。

 絶対王者・国見(長崎)の前に、0-8の大敗を喫したのだ。

劇的な敗北から、より強くなって蘇った。

 だが、この悲惨ともいえる体験によって志波の信念は揺らぐどころか、より強いものとなったのである。

「あの時の国見は本当に強かった。でも僕も負けず嫌いで、0-8で負けたままで終わりたくなかった。すべてをきっちりと返してやろうと思った」

 やり方を変えるのではなく、【4-1-4-1】の信念を貫き、より進化させる。屈辱の敗退から僅か2年後。彼らは国立競技場に帰ってくる。

 期待していた1年生が最高学年となり、下級生にはCB古賀正紘(元柏など)もいた。準決勝の相手は、1年生GK南雄太(現・横浜FC)を擁する静岡学園。0-1で迎えた後半アディショナルタイムに劇的同点弾を挙げPK戦までもつれ込んだ一戦は、南のセーブによって静岡学園に軍配が上がった。

 同じく準決勝で敗れはしたが、2年前とは全く違う内容。ここから東福岡の『最強伝説』は幕を開けたのである。

【次ページ】 本山雅志擁する“赤い彗星”が全国を席巻!

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