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「藤浪は野球をナメている」藤浪晋太郎が阪神で感じた“空気”「四球出したくて出してるわけじゃない」「心が削がれて…」救われた野茂英雄の“ひと言”
posted2025/03/29 11:06

プロ1年目の2013年から3年連続で二桁勝利。藤浪晋太郎が阪神時代を振り返った
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
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藤浪晋太郎の野球人生を行ったり来たりしながら分岐点は2016年であることが見えてきた。プロ入り4年目、初めて2ケタ勝利に手が届かなかった年でもある。
藤浪は自分の過去を俯瞰するように語る。
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「2016年は初めて2ケタ行かなかったので、成績が出なくなったってすごい言われました。けど、内容はそこまで悪くはなかったんです。イニングも169回投げていますし。その頃はまだクオリティースタートとかセイバー(メトリクス)的な見方がそこまで普及してなかったんですけど、WAR(チームへの貢献度)とかも悪くなかったんです」
じつは好調時も「四死球」多かった
その年、藤浪の四球数は70個でリーグワーストだった。
四死球王――。
いつの頃からか、藤浪にはそんなありがたくないニックネームが付けられた。
ただ、それを言うならば、藤浪はもとから四死球キングだった。2年目に記録した11個のデッドボールはリーグトップ。自身最多となる14勝をあげた3年目は四球82個、デッドボール11個を与え、「二冠」に輝いている。
高校時代から、藤浪の持ち味は適度な「荒れ球」にあった。特徴など得てしてそういうものだ。結果がついてきているときは美点に見えるし、結果が出なくなった途端、欠点に映る。「あばたもえくぼ」と同じ現象である。
藤浪の荒れ球は織り込み済みのはずだった。だが、和田豊から金本知憲に監督が交代した2016年、ベンチは途端に四死球を毛嫌いするようになった。
「特に金本さんは、そういうところに厳しかった。フォアボールは投手のエラーだという考え方だったので」
「四死球=悪」評価が変わった
本人にその自覚がなくても、周囲の人間が1つのことを呪文のように言い続けると、その色に染められてしまうことがある。白が黒になる。嘘も事実になるのだ。
藤浪にかけられた呪いは「フォアボールが……」だった。