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監督からも「野球と勉強、どっちが大事なんだ」と言われ…大学准教授に転身の元・楽天ドラ4選手が「絶対に戻りたくない」“超ハード”だった大学生活
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/24 11:02
明治大から2004年のドラフト4位で楽天に入団した西谷尚徳。現在は立正大で准教授を務めるが、その礎は大学時代の超タイト生活にあった
野球と教員免許取得の両立を目指す西谷が選んだのは明治大だった。当時の文学部は二部制だったこともあり、「日中は野球、夜は授業」が実現できる。東京六大学リーグで30回の優勝(当時)を誇るチームで腕を磨けることが、彼にとってはベストだった。
しかしながら、いくら自分に適した環境とはいえ、初志貫徹するのは「両立」と言葉で表すほど生易しいことではない。入学時から計画的に単位を取得していかなければ4年間で必要数に到達できず、西谷の場合は親から「5年目以降は認めない」と言われていただけに、「4年で卒業」は至上命令だった。
ましてや、明治大のような伝統ある野球部では、普段の過酷な練習に加え、チームで決められた当番や先輩の雑用もこなすこととなる。
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「お金を積まれても二度とやりたくないです」
西谷が口を歪ませながら笑う。
朝6時半から分刻みのスケジュール…厳しい文武両道
主な1日のスケジュールはこうだった。
朝は遅くとも6時半には起床。そこから掃除、朝食を済ませて9時前からグラウンドで練習が始まる。15時半に終了してからユニフォームなどの洗濯、入浴、食事を済ませ、16時半までに調布(当時)の寮を出発しなければ、御茶ノ水にある校舎で17時半から開始される二部の授業に間に合わない。1日で最大の3限目まで受けるとなると、学校を出る頃には22時で、夕食を済ませて帰ろうものならば寮の門限である23時半までには間に合わない。そのため、食事は通学時におにぎりなどを買っておき学校で食べた。
西谷が「二度とやりたくない」と嘆くほど慌ただしい分刻みのスケジュール。当然のことながら自主練習の時間など確保できるわけがない。
そんなハードな環境下で西谷は1年生の春からレギュラーを掴んだ。そして、東京六大学リーグで4割1分7厘のハイアベレージをマークしてベストナインに選ばれたのである。
西谷が言うには、この好成績の裏にはちょっとした“カラクリ”があったのだという。
「私が1年生だった2001年は、3年生に早稲田の和田(毅)さん、立教の上重(聡)さんとか、“松坂世代”の錚々たるピッチャーがいたんですね。正直、とてもじゃないけど打てませんでした」