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監督からも「野球と勉強、どっちが大事なんだ」と言われ…大学准教授に転身の元・楽天ドラ4選手が「絶対に戻りたくない」“超ハード”だった大学生活
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/24 11:02
明治大から2004年のドラフト4位で楽天に入団した西谷尚徳。現在は立正大で准教授を務めるが、その礎は大学時代の超タイト生活にあった
絶対エースでありながら、プライベートで羽目を外しがちだった同学年の一場靖弘に、「遊ぶな」ではなく「登板日はこの日だから、そこにちゃんと照準を合わせてくれよ」とゆとりを持たせながら導くなど、人によって手綱さばきを変えることで求心力を発揮した。プレーヤーとしても、2度目のベストナインを獲得しチームを春季リーグ優勝へと導いた西谷は日米大学野球の代表選手に選出され、全日本でもキャプテンに任命されたのである。
1年春の衝撃から「上には行けないだろう」と思っていた西谷が、「プロに行けるのかな?」と手応えを感じ始めたのは、大学日本代表に選ばれたことが大きかったのだという。
ただ、現実問題として「無理じゃないか」と半信半疑でもあった。
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春季リーグ戦から全日本大学野球選手権、日米大学野球と試合に出ずっぱりだったことが災いし、西谷は右ひじを故障してしまったのである。その症状は食事の際に箸を持つ右手でご飯を口元まで運べないほどで、辛そうな西谷を見かねた監督の川口から「社会人で野球をやってから指導者になれ」と促されたほどだった。
4年生となったこの時点で、卒業に必要な単位はすでに満たしていた。だからといって、せっかく掴んだプロへの可能性をむざむざと手放したくない自分もいたと、西谷は言う。
「やっぱり、プロ野球選手に憧れて野球を始めたこともありましたし、本当に大学は充実し過ぎたと思えるくらいにやり切ることができたんですね。プロになれるチャンスは滅多にないわけですし、『1年で終わってもいい』くらいの覚悟でずっとやってきましたから」
4年秋にもベストナイン…それでも「ドラフト指名はない」?
大学最終年となる4年秋のリーグ戦。西谷は満身創痍の状態ながらも、春に続き3度目のベストナインに選出された。
結果は残したが、西谷の心は変わらず懐疑的だった。プロのスカウトの目には、スローイングをはじめとしたパフォーマンスがそれまでの自分ではないと判断されているだろうし、おそらくドラフトでの指名はない――半ば諦めの境地だったという。
そんな悲観的な憶測は杞憂に終わる。
2004年のドラフト会議。西谷はこの年からプロ野球に新規参入を果たした楽天から4巡目で指名を受けたのである。
<次回へつづく>