甲子園の風BACK NUMBER
なぜ古豪は甲子園から「姿を消した」のか…76年前に夏連覇、元祖“甲子園の土”の名門・小倉高校が半世紀無縁の聖地を今真剣に目指すわけ
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKatsuharu Uchida
posted2024/08/20 11:01
夏2連覇の記念碑の前に立つ中島監督。今は県内の進学校と認識されることのほうが多い
野球だけすればいいという学校ではない
「母校という思いもありますが、選手がとにかくやりやすいような環境を作れたらという思いでやってきました。彼らは勉強もしないといけません。もちろん野球が好きで入ってきていますが、小倉高校は野球だけをすればいいという訳ではないので、いい方向に導けるように、この1年はやってきました」
監督就任直後。選手たちに「実現可能なことは叶えていく」と約束した。自身の高校時代は「夜の12時ぐらいまでグラウンドにいて、帰って目をつぶって開けたらもう朝で、7時30分の課外授業に行っていた」と話すなど、厳しさもまだ色濃く残っていたという。令和の今に何を残し、何を捨てていくか。しっかりと対話を重ねていきながら、その時代に即したアップデートができるように努めた。
すると選手側から「丸刈りをやめたい」という申し出があった。昨夏は慶応(神奈川)が「エンジョイ・ベースボール」のスローガンの下、長髪をなびかせて107年ぶりの全国制覇を達成。しかし、小倉は1908年の創部からずっと丸刈りで通すなど、高校野球の草創期を知る両校は、対照的な道のりを歩んできた。
115年目にして長髪解禁
伝統校のしきたりを改革するのはそう簡単ではない。OBの中でも、歓迎と反対の声で割れたが、中島監督は、115年目にして初めて長髪の解禁に踏み切った。背中を押してくれたのは、高校時代の恩師からの言葉だった。
「土田秀夫先生(元小倉東、小倉監督。現希望が丘校長)から『結果が出ないとすぐに代えられる世界だから、やりたいようにやらないと後悔する。思うようにやった方がいいぞ』と言っていただきました。選手には、自分たちで考えながらやってほしいというのがあって、主将がみんなの意見をまとめて言ってきたので、じゃあ襟足であったり、そういったところはスッキリしよう、という風にちゃんとルールを決めた上でやろうということになりました」