甲子園の風BACK NUMBER
早稲田と慶應で甲子園に出場!?…新たな「ブランドグローブ作り」に挑む“超名門出身”鈴木兄弟とは何者か 現状は「大手5社が7割以上のシェア」
posted2024/08/20 11:00
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by
Takeshi Shimizu
兄弟で差し飲みをしたことが始まりだった。
「喧嘩はめちゃくちゃしてた記憶がありますけど、昔から仲は良かったですね」と兄。
中学以降は別々の進路になったけれど、帰宅してたまに一緒に河川敷をランニングしたり、キャッチボールをした。「仕事はどうよ」というたわいもない話題の差し飲み。社会人になってお互いに10年ほどを過ぎた中堅どころ。楽しく充実していた。4軒目の町中華だった。
「なんかこう、人生をかけてやりたいことあるかなぁ……」
そんな展開になった。
「野球でなにか、恩返ししたいなと話したんです」とまた兄がいう。
酔ったうえでの大言壮語でもある。球場を作りたいとか、イベントをやりたいとかアイディアが湧いてきた。埼玉県川口市出身の兄、鈴木裕司(34歳)と弟、鈴木健介(32歳)は小学校から野球をやってきた。リトル、シニア、高校から大学へ足掛け15年ほどになる。
「野球がアイデンティティ」と二人は口をそろえる。
支えてきたのは両親だ。きっかけを与えてくれたのは父の久幹さん。35年以上にわたって埼玉県内の公立高校の体育教師として野球部の指導をしてきた。監督を務めた大宮西、川口市立などの試合を家族みんなで応援に行くのが鈴木家の一大行事だった。
またリトルシニアへの送り迎えは母、敦子さんだった。敦子さんも中学の国語の教師をしていて、仕事から帰ってきて兄弟をグラウンドに車で送ってくれた。そして兄弟の高校時代は朝5時起きで弁当を作り、夜も兄弟の帰宅が23時になっても待っていて夕飯を作ってくれた。
兄は慶應、弟は早稲田でともに甲子園に出場
中学を卒業すると兄弟は早慶というライバル校で野球を続ける。
裕司は慶應義塾高(以下慶應高校)で2008年春夏に甲子園連続出場。春は初戦負けだったが、夏は準々決勝進出。主将は慶應大学でも主将を務めた山崎錬(元エネオス)。裕司は4番ファーストの中心選手だった。
慶應大学では2011年春のリーグ戦に優勝し、大学選手権にもスタメンで出場した。
健介は、2009年センバツと10年夏に早稲田実(以下早実)の投手として甲子園に出ている。センバツは2年生でリリーフして2勝に貢献。10年は背番号「1」をつけ、初戦の倉敷商の完封勝ちなど3試合に先発し3回戦まで勝ち進んだ。
早稲田大学では有原航平(ソフトバンク)、高梨雄平(巨人)ら同期と競い合った。3年から神宮のベンチ入りを果たした。