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「再生された選手に共通なのは…」《NPB参戦オイシックス新潟》監督は “野村再生工場”の腹心だった…いま明かす「遠山奬志&小早川毅彦」復活秘話 

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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posted2024/03/15 17:01

「再生された選手に共通なのは…」《NPB参戦オイシックス新潟》監督は “野村再生工場”の腹心だった…いま明かす「遠山奬志&小早川毅彦」復活秘話<Number Web> photograph by KYODO

「再生工場」で名をはせた恩師の野村克也氏のもとで学んだ新潟の橋上秀樹監督。初参戦のNPBでどんな手腕を見せるだろうか

 多くのNPB出身選手を預かる今、橋上は、かつての師と同じスタイルを思い描く。

「何が原因で戦力外になったのか。理由や経緯があるはずなので、それをこちらが認識したうえで再生の道を探っていきたい」

 再生――。かつて輝きを放っていた選手をいかに立ち直らせるか。野村は日が当たらなくなった選手を何人も戦力として蘇らせたことから「再生工場」の異名をとった。マネジメントを間近で見てきたのが橋上である。その要諦をこう説明する。

「再生された選手に共通するのは、今までになかった特徴を見いだすことです。もともと持っている特徴でしょうけど、そこに磨きをかける感じの方が多いですね。全体的なレベルをもう1回、上げるのはなかなか難しい。それよりは自分が持っているモノの中で、何かもう1つ、武器となるモノをもう1回、磨きをかけて勝負するということだと思います」

 さらに、自ら例を挙げた。

「遠山奬志なんかは、最たる例でしょうね」

低迷したドラ1投手の「再生」劇に直面

 橋上が遠山とチームメートになったのは00年の1年だけである。阪神の一員として戦い、そこで目にしたのは、中継ぎ左腕として巨人の松井秀喜に真っ向勝負を挑む姿だった。「松井キラー」の遠山は、長く続いたタイガースの暗黒時代において、虎党が溜飲を下げる数少ない存在であった。

 遠山は85年のドラフト1位で入団し、高卒1年目の86年こそ先発で8勝を挙げたが、その後は低迷。ロッテに移籍してから野手に転向し、戦力外になった後、テスト入団した阪神で再び投手として勝負していた。橋上は回想する。

「野手として難しいところを、野村監督は左打者専用のリリーフ投手に特化させて使った。彼は強心臓だったし、左バッターに対しても臆することなくインコースに投げられる。そういったことを野村監督は自覚させたんです。『これで十分にプロの世界で生きていけるんだよ』と言ったりしていましたからね」

 上手投げからサイドスローへの転向を勧め、新球シュートを習得させたのが奏功した。遠山は古巣復帰2年目の99年は63試合に登板し、2勝1敗1セーブ、防御率2.09と活躍。カムバック賞も受賞した。

【次ページ】 「技術的にはまだ間違いなく通用します」

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