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「なるべく多く借金を背負いたい」“空白の1日”巨人・江川事件…悲劇のヒーロー・小林繁とは何者だったのか?「殴り合いもしたエース」
posted2024/03/16 17:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手はどう人生を逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁らのサバイバルを追った新刊「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)が売れ行き好調だ。そのなかから小林繁の逆転人生を紹介する【全3回の前編/中編、後編も公開中】。
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オレは今、絶頂にある。あとは落ちていくしかない――。
日本中の注目を集めた記者会見で、無数のフラッシュを浴びながら、男はそう覚悟した。球団との12時間以上の交渉後で疲れ切っていたが、毅然とした態度で質問に答え続けたのは、当時26歳の小林繁である。彼はあの“空白の1日”事件で、江川卓の身代わりとなり、阪神へ移籍した。一夜にして、世間から同情される「悲劇のヒーロー」になってしまったのだ。
デパートの店員だった男
身長178センチ、体重62キロ(入団時は58キロだったという)の痩身のサイド右腕は、V9時代真っ只中のエリート集団・巨人軍に、1971(昭和46)年ドラフト6位で指名された非エリートの選手である。
由良育英高校ではボール判定に納得がいかず、球審を睨みつける高校生らしからぬ太々しい一面を持ち、関西大学のセレクションに落ちると、大丸百貨店に就職して、神戸店の呉服売り場に立つ変わり種だった。
毎日2時間ほど働き、全大丸野球チームの練習に参加する。呉服に興味などなかったが、髪を伸ばせる自由な職場の雰囲気は居心地が良く、社内でも評判の美人姉妹の妹が紳士服売り場にいると聞けば、同期を頼ってアプローチする。そのふたつ上の女性店員とは、プロ入り後に結婚することになるが、社員旅行で和歌山の白浜温泉へ出掛けた際、小林が歌った石原裕次郎の『夜霧よ今夜も有難う』が彼女のハートを射抜いたのである。