ぶら野球BACK NUMBER
スカウトが酷評した高校生ピッチャー「あんなフォームじゃとらへん」“無名だった”野茂英雄10代の挫折…職場でも説教「はよ仕事覚えろ」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/03/03 17:02
1989年ドラフトで史上最多8球団の指名を受けた野茂英雄。契約金1億2000万円、年俸1000万円、当時としては破格の条件で近鉄へ
オフになっても勢いは止まらず、新日鉄堺時代の都市対抗野球で一目ぼれした元東芝のマスコットガールと婚約会見した直前に発売された、「週刊現代」1990年11月24日号では、長嶋茂雄との対談が実現した。
「野茂君を見ていると、平成の時代を迎え撃つ新しい風というか、人間離れしたイメージがあるんだね(笑)」なんて褒め殺しをする浪人生活中のミスターから将来の夢を聞かれた野茂は、力強くこう答えている。
「チームの優勝はもちろんですけど、できれば大リーグで野球をやってみたいですね。自分の力を大リーグで試してみたいという気持ちは強いです」
<続く>
「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)。戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手は人生をどう逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁、矢野燿大らのサバイバルを追う(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)