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故障しても箱根駅伝に強行出場→最終10区で疲労骨折リタイア…90年代から頻発、給水ルールも変更された「棄権から見る箱根駅伝史」 

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工藤隆一

工藤隆一Ryuichi Kudo

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/01/02 11:02

故障しても箱根駅伝に強行出場→最終10区で疲労骨折リタイア…90年代から頻発、給水ルールも変更された「棄権から見る箱根駅伝史」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

近年では幸いにもあまり見られなくなっている途中棄権。じつは棄権が増え、対策がなされてきた歴史があった。※写真はイメージです

 しかし、このあともアクシデントは散発する。2001(平成13)年の第77回大会では東海大2区の伊藤孝志が12kmを過ぎた地点でリタイア。理由は不調を押しての出場だった。いくら頑張ってもやはり体は嘘をつかない。翌2002(平成14)年の第78回大会では、法政大の徳本一善が2区の7kmを過ぎた地点で棄権した。

 徳本は2001年のユニバーシアード10000mの銅メダリスト。2年生時の2000(平成12)年の第76回大会では1区で区間賞を獲得、「爆走王」と呼ばれたスター選手だった。5km過ぎでペースアップした瞬間「プチッという音がして」右脚ふくらはぎの肉離れを起こし、棄権した。

 徳本のトレードマークは茶髪にサングラス。「ビジュアル系ランナー」としてメディアも積極的に取り上げたいわゆる「テレビの申し子」的な存在だった。しかし、テレビは傷ついた徳本が途中でレースを止めざるを得ない痛々しいシーンを映し出した。

 さらに2008(平成20)年の第84回大会では順天堂大、大東文化大、東海大の3校が、それぞれ5区、9区、10区で棄権している。

 <留学生編へ続く>

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#2に続く
「外人ではなく“害人”だ」という苦情も…箱根駅伝で“留学生ランナー”が禁じ手だった頃「部員の鑑だったオツオリ伝説」

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