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故障しても箱根駅伝に強行出場→最終10区で疲労骨折リタイア…90年代から頻発、給水ルールも変更された「棄権から見る箱根駅伝史」

posted2024/01/02 11:02

 
故障しても箱根駅伝に強行出場→最終10区で疲労骨折リタイア…90年代から頻発、給水ルールも変更された「棄権から見る箱根駅伝史」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

近年では幸いにもあまり見られなくなっている途中棄権。じつは棄権が増え、対策がなされてきた歴史があった。※写真はイメージです

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工藤隆一

工藤隆一Ryuichi Kudo

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Sankei Shimbun

 第100回を迎えた箱根駅伝。生中継では、異変の起きたランナーにカメラが向けられ、その苦しむ様子も「名場面」として取り上げられてきた。ファンに衝撃を与えた「途中棄権」の歴史を『箱根駅伝100年史』(KAWADE夢新書)から抜粋して紹介する。全3回の第1回/続きは#2

 テレビが全区間を生中継するようになった1989(昭和64)年から2年が過ぎた1991(平成3)年の第67回大会。1月2日の午前中の日本テレビ(系列)はとんでもないシーンを映さざるを得なくなっていた。早稲田大の1区を区間新記録で走り抜けた武井隆次から襷を受けとった櫛部静二(現・城西大駅伝部監督)に異変が起きたのである。

 櫛部は1区の武井、3区の花田勝彦とともに鳴り物入りで入学し、「早大三羽烏」と呼ばれたうちのひとり。1年生ながら花の2区を任されていた。

 快調にトップを走り続ける櫛部の体が、後半に入ったあたりから動かなくなった。ふらふらしながら右に行ったり、また左に戻ったりと蛇行をくり返す。そして、立ち止まってはまた歩き出し、両手で顔を覆うような動作を時折見せながら、また思い出したように走り始め、また止まる。

 このような残酷なシーンをテレビは容赦なく映し出す。はつらつとした若いランナーの勇姿を正月のお茶の間に届けるのが本来のテレビの使命なのだが、やはりメディアとしては「常とは異なった状況」を無視するわけにはいかない。櫛部は辛うじて襷だけは3区の花田に渡すことができたが、順位は最後尾の15位。失速の原因は当初、脱水症状だといわれていたが、OBから差し入れられた刺身を一晩おいてから食べたため、軽い食中毒を起こしたことが、後日明らかになった。

故障を抱えていたにもかかわらず強行出場→棄権

 これは筆者の想像だが、多少、当日の体の調子がおかしいという自覚があっても、初めての箱根で1年生ながら2区に抜擢された「栄誉」を自ら返上するわけにはいかなかったのではないだろうか。

【次ページ】 優勝候補2校が棄権という波乱…1996年大会

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