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岡田彰布監督が不機嫌に「いらんこと言うたらアカン」アレはオリックス時代に始まった…「“Vやねん”事件も」阪神ファンのトラウマ“まさかの失速”4選
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph bySankei Shimbun
posted2023/11/04 17:40
2010~12年シーズン、オリックスの指揮を執った岡田彰布監督
このシーズンは2015年からの若手育成路線が実を結び、近本光司、大山悠輔、青柳晃洋のほか、1年目の佐藤輝明、中野拓夢、伊藤将司ら20代の選手が躍進した。個人タイトルに目を向ければ、42セーブのスアレス(この年30歳)とともに、青柳が勝利数13、勝率.684でそれぞれタイトルを獲得(勝利数は広島・九里亜蓮とタイ)。打者でも、近本がリーグ最多の178安打でベストナインに選ばれた。
とりわけこの年の阪神を特長づけたのは盗塁の多さで、中野が30で盗塁王、次いで近本が24を記録、チーム全体でも114と、2位のヤクルトの70を大きくしのいだ。「足」でかき回す攻撃で4月から首位に立ち、6月には2位に最大で7ゲーム差をつけて独走する。だが、後半戦に入って優勝を争うようになると、簡単に勝負できないゆえ盗塁が減っていく。加えて失策も目立つようになり、最終的に86と12球団ワーストを記録した。
岡田彰布が見た“阪神の敗因”
10月19日・20日のヤクルトとの最後の直接対決(甲子園)では、1戦目こそ11対0で圧勝したとはいえ、2戦目は引き分けとなり、ヤクルトの優勝マジックが3に減った。ヤクルトはそのあと2連敗して、24日の巨人戦に勝ってやっとマジック2にする。一方、阪神は引き分けを挟んで2連勝し、26日の甲子園での最終戦(中日戦)で勝てば、逆転優勝する可能性を残した。だが、その最終戦で、失策により中日に先制を許したのが響き、0対4で敗れ、同日のヤクルトの優勝をアシストする結末となってしまう。
当時、現場を離れていた岡田彰布は、『週刊ベースボール』の連載コラム(2021年11月8日号)で、10月20日のヤクルトとの最後の直接対決について、《この引き分けで、阪神はギリギリのところまで追い込まれたわけです》と評した。
ここで岡田が引き合いに出したのが、5回裏に阪神が無死一、二塁とし、この試合初めてチャンスを迎え、確実に点を入れたい場面にもかかわらず、打席に入った7番・小野寺暖は初球、バントの構えからバスターに切り替え、フライを上げてしまったことである。
「13年前、オレもキリキリと胃を痛めながら…」
岡田は《どうしてバントでなかったのか。小野寺がバントが苦手なら、代打を送ってもよかったし、打線が下位だったにしても、ここを勝負と、好投ガンケルに代打を送ってもいい局面。とにかく確率高く1点を奪いにいく場面でなかったか》と疑問を呈したうえ、次のように続けた。