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日本ハムがドラフト6位指名もJR東日本へ…“最後の指名拒否”山口裕次郎は駅員になった 本人が明かす、その後の野球人生「どれが正解か分からなくなって…」

posted2023/11/04 11:04

 
日本ハムがドラフト6位指名もJR東日本へ…“最後の指名拒否”山口裕次郎は駅員になった 本人が明かす、その後の野球人生「どれが正解か分からなくなって…」<Number Web> photograph by Yu Saito

シフトで決められた泊まり勤務の後、多忙な中、取材に応じてくれた山口裕次郎さん。今年から都内で駅員として勤務

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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Yu Saito

 3位以内でなければ、社会人野球チーム入り――。2016年のドラフト会議を迎える前にその方針を各球団に伝えていた履正社の左腕・山口裕次郎さんは、突如日本ハムから6位で指名される。熟慮の末、18歳は指名拒否を申し入れ、JR東日本への入社を決意する――。現在は駅員として都内で勤務する本人が「その後」の野球人生を振り返る。(Number Webノンフィクション 全2回の第2回/前回は#1へ)

監督、チームメイトは応援してくれた

 山口さんの選択に、周囲も騒がしくなっていた。「社会人に行っても頑張って」といった激励も多かったが、「日本ハムに行かなかったことで、指名できるはずの枠が一つ減ってしまった。そのことに対してどう思っていますか」などの辛辣なコメントも散見された。ドラフトで支配下指名を受けながら入団を拒否した選手は2011年日本ハム1位の菅野智之(巨人)以来。山口さん以降は現在まで一人もいない。

「当時の監督や部長からは『あまり気にするな』と言われていました。一緒に野球をやってきた仲間やチームメイトは応援してくれていて、そこに対する気持ちの揺れはありませんでした」

早く結果を出したいという欲がありすぎて…

 社会人でレベルアップして、3年後にドラフト上位でプロ入り――。そんな青写真を描いて入社したJR東日本では、結果を求め、試行錯誤を繰り返していくうちに、本来の自分を見失っていった。

「納得のいかない結果が出ると『どこがダメなんだろう』と悩んで、いろいろやっていくうちに、どれが正解か自分の中で分からなくなって……。早く結果を出したいという欲がありすぎて、少しダメだった時に『このやり方は間違っているんじゃないか』って思ったりしていました」

 高校の時は「ほとんど何も考えてなかった」と振り返ったように、細かいフォームのメカニズムなど気にせずに、ただがむしゃらに腕を振っていれば結果はついてきた。ただ、社会人の打者はそんなに甘くはない。今までなら空振りが取れた変化球は簡単に見逃され、少しでも甘いコースに入れば痛打された。

映像と自分の理想とのギャップ

 フォームにも悩んだ。高3の春、大阪桐蔭を1失点完投で抑えた時のような「自分が一番ストレスなく腕が振れる位置」を探るあまり、スリークオーターからさらに下へと腕が落ちてしまっていた。

【次ページ】 プロどころか、来年野球ができるかどうか

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