甲子園の風BACK NUMBER
あの《金農サヨナラ2ランスクイズ》から5年…“敗れた近江高→関大で日本代表候補”有馬諒が迎える運命のドラフト「理想はヤクルト中村悠平」
posted2023/10/26 11:01
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
Fumi Sawai
もし、4年前にプロ志望届を出していたら――?
ごくまれにだが、有馬諒はそう思ったことがある。
「自分の同級生でも何人か高卒でプロに行ったキャッチャーはいますけれど、特に山瀬(慎之助・星稜→巨人)は肩だけでもプロでやっていけるんじゃないかというくらい凄い選手。でも、そんな選手でもプロで一軍に定着するのは難しい。それぐらい、厳しい世界なんやってあらためて思いますね」
”金農旋風”2ランスクイズで敗れた5年前の甲子園
高校野球ファンならおなじみの選手でもある。
近江高校では1年秋から正捕手となり、2年生の時は春夏連続で甲子園に出場。夏の甲子園の準々決勝・金足農戦で2ランスクイズで敗れた瞬間、ホーム上で伏した有馬の姿は、あの試合を物語るワンシーンとして今も脳裏に焼きついている者は多いはずだ。
1年時から名門のリーダー格となり、的確な状況判断、周囲を見渡せる視野の広さ。何より、冷静沈着な受け答えと、ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぎだす淡々としたその表情。良い意味で当時の有馬は高校生らしさを感じなかった。
近江高校の多賀章仁監督も「1人だけ大人が混じっているような感じ」と有馬について語っていたことを思い出す。
当時も世代を代表する捕手として常に名前が挙がっていた。ただ、熟考の末、選択したのは進学だった。
「(志望届を)出さなかったのはプロでやっていく自信がなかったから。自分の中では(高校卒業後に)そのままプロに行ってもスタメンで出られるイメージはつかなかったです。一軍の試合すら任せられるような選手にはなっていなかったと思うんです」
4年間でどれだけ成長できるか。強い志を胸に関西大学の門を叩いた。そしてその先の出会いも有馬に大きな影響を与えていった。
まずは2歳上にいた強肩強打のプロ注目の正捕手・久保田拓真(現パナソニック)だ。