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“井上尚弥をモンスターにした男”大橋秀行はどんなボクサーだったのか?「尚弥とは違い、何度も木っ端みじんにされた」“150年に1人の天才”の真実
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/10/09 18:05
大橋ジム会長として井上尚弥をはじめ多くの名ボクサーを輩出している大橋秀行。ロングインタビューで、その現役時代に迫った
すでにプロボクサーになっていた兄に連れられ、中学1年からカワイジムに通い始めた。大橋は型破りな行動に出る。1日1食。給食にも口をつけない。心配した学校の教師から、自宅とジムに電話がかかってくるほどだった。
「同級生は、俺がご飯を食べているのを見たことないはずですよ。みんなから『何食べているの?』とよく言われました」
そんな食生活を引退する28歳まで続けた。確かにリング上の大橋は独特な体つきだった。大きな上半身の骨格。猫背で厚い胸板。ウエストは極端にくびれ、手足も細い。
「現役時代、変な体格していたでしょ。当時のウエストは60センチ。いまは1メートル超えです。体重も引退後、簡単に30キロ増えた。考えてみたら、俺は(遺伝的に)こういう体形なんですよ」
1日1食で、無理矢理ボクサー体形を保っていたのだ。
「お前は駄馬」猛練習を重ねたアマチュア時代の挫折
センスにあふれる大橋少年は、中学3年生の時点で当時ジムにいた日本王者と互角に打ち合った。だが、名門・横浜高校に入学すると、別世界が待っていた。ボクシング部の海藤晃監督から、卒業生でのちに幻のモスクワ五輪代表となる副島保彦と比較され、「副島はサラブレッド。お前は駄馬だから3倍練習しなきゃダメだ」と言われた。
駄馬なのか。3倍練習しないといけないのか……。
大橋は監督の言葉を、真正面から受け止めた。
毎朝4時に起きる。すぐにロードワークへ飛び出した。一仕事を終え、テレビをつけるとNHKの早朝番組『明るい農村』がようやく始まる。高校へ行き、ボクシング部での練習をこなし、カワイジムでプロに混じって拳を磨いた。21時から再びロードワークをして、ようやく1日が終わる。「駄馬」と評された男は、本当に他人の3倍練習した。
2年生でインターハイを制し、その1カ月後だった。東西対抗で沖縄・興南高の同学年、名嘉真堅安に敗れた。雪辱とインターハイ連覇を期し、「3倍の練習」をさらに1年間続けた。だが、高校生活の集大成である3年時のインターハイ準決勝で、再び名嘉真に屈した。
「ここまで練習しているのに、負けるのか。俺はやっぱり駄馬なんだな、と思いましたね。あの負けのショックは大きかったなあ……」