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“井上尚弥をモンスターにした男”大橋秀行はどんなボクサーだったのか?「尚弥とは違い、何度も木っ端みじんにされた」“150年に1人の天才”の真実
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/10/09 18:05
大橋ジム会長として井上尚弥をはじめ多くの名ボクサーを輩出している大橋秀行。ロングインタビューで、その現役時代に迫った
しかし、金奉準の手数が多く、荒々しいスタイルに翻弄され、プロ5戦目の初黒星。世界前哨戦の大事な試合でつまずいた。
「ショックですよ。この負けが人生で一番ショックだったかもしれない」
振り返れば、高校3年時のインターハイ、五輪予選の黒岩戦、そして世界前哨戦。大橋は「ここ一番」でいつも負けてしまうボクサーだった。
「嘘でもいいから、この人のことを好きになろう」
実力はある。努力だって人一倍してきた。では、なぜ勝てないのか。これ以上どうすればいいのか。悩み、苦しみ、立ち上がるまでにかなりの時間を費やした。しばらくして、一つの結論に行き着いた。
「高校のときも監督がすごく嫌いで、大学でも監督が嫌い。米倉会長も『150年に1人』とか言っていて、ずっと苦手だったんです。俺はそこがいけないな、と思いました。嘘でもいいから、この人のことを好きになろうと思いましたね」
ロードワークは朝6時からなのに、米倉は誤って夜中の3時に起こしにくる。以前なら「ふざけんなよ」と思うところが、好きになると「お茶目だな」と思えてくる。
気持ちを変えると、充満していた負のオーラが消えていった。会長を好きになったことで、ヨネクラジム全体に一体感が芽生えてきた。
「そこに気づけたのが一番大きい。自分の先生、監督を好きになると、周りと一体になって自信を持ってバチンといけるようになった。それはボクシングを辞めてからも、すごく生きていますよね」
大橋が年長になると、ジムの後輩に「絶対に会長の不平不満を言わないように」と念を押した。それを合宿所に入る条件にするほどだった。
<第2回に続く>