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大橋秀行の左ボディで王者が転げ回り…「一番強いヤツと闘いたい」日本ボクシング界の救世主が“最強の挑戦者”リカルド・ロペスを選んだ理由
posted2023/10/09 18:07
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph by
KYODO
伝家の宝刀・左ボディで王者が悶絶
1990年2月7日、王者・崔漸煥(チェ・ジョムファン)に、24歳の大橋秀行が挑んだWBC世界ミニマム級タイトルマッチ。後楽園ホールは、異様な雰囲気に包まれていた。
立ち見客が通路や階段にまで溢れ返っている。観衆は定員を遥かに超える3500人。試合は序盤から激しい打ち合いとなった。張正九との2戦で培った大橋の韓国人ボクサー対策が、ここで生きた。
「距離を潰して相手のスタミナを削って打ち勝つのがコリアンファイター。こっちが足を使って距離を取ろうとするとグイグイ出てくる。だから、勝つためにはくっついて接近戦でインサイドのアッパーで打ち勝つこと。そうすると、向こうが慌てて自分から離れるんですよ。張正九に肌で教えてもらったんです」
その通りの試合展開だった。中盤からは大橋が主導権を握り、9回、右アッパーからの左ボディを放つと、王者がしゃがみ込んだ。当時、大橋は日本では珍しい左ボディの名手だった。立ち上がった王者に左ボディをもう一発。王者は腹を押さえて痛がり、キャンバスを転げ回った。
「あの頃って、左ボディを打つ人はいなくて、僕くらいですよね。上(顔面)は打たれ強いので、絶対にボディだと思っていました」
相手の背中から巻き込むような独特の左ボディ。ボクシングへと導いた兄・克行から教えてもらった一撃だった。
「ルペ・ピントールvs.村田英次郎戦(1980年6月11日)のとき、兄貴がピントールとスパーリングをやって、あのボディの打ち方を盗んだんです。普通ならブロックされる。でも、ピントールのボディは背中から巻き込んで、拳を立てて打つんですよ」
兄から伝授され、大橋が練習で試すと、対峙した相手が面白いように倒れた。それは「冬の時代」に終わりを告げる左ボディだった。
3度目の挑戦で、ついに世界王座を獲得。大橋は「やった!」と叫び、飛び跳ね、上を向いた。見慣れた後楽園ホールのスポットライトが、いつもより眩しかった。