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“井上尚弥をモンスターにした男”大橋秀行はどんなボクサーだったのか?「尚弥とは違い、何度も木っ端みじんにされた」“150年に1人の天才”の真実

posted2023/10/09 18:05

 
“井上尚弥をモンスターにした男”大橋秀行はどんなボクサーだったのか?「尚弥とは違い、何度も木っ端みじんにされた」“150年に1人の天才”の真実<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

大橋ジム会長として井上尚弥をはじめ多くの名ボクサーを輩出している大橋秀行。ロングインタビューで、その現役時代に迫った

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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Shigeki Yamamoto

大橋ジム会長の大橋秀行はいまや、井上尚弥をはじめ5人の世界王者を輩出した名伯楽として名を知られている。だが、現役時代の大橋は幾度となく強者との激闘を繰り広げ、1980年代中盤から90年代前半まで日本ボクシング界を牽引した名チャンピオンだった。軽量級離れした強打を武器に「150年に1人の天才」と呼ばれた男は、どんなボクシング人生を歩んできたのか。「ボクサー・大橋秀行」の知られざる足跡に、ロングインタビューで迫った。(全4回の1回目/#2#3#4へ)※文中敬称略

「尚弥と違って、俺は何度も木っ端みじんにされた」

 相手の背中から巻き込むような左ボディが脇腹をえぐる。王者を2度転がしてテンカウントを聞かせた。1990年2月7日、東京・後楽園ホール。新チャンピオンとなった大橋秀行は緑のベルトを腰に巻き、超満員の観客から沸き起こった「バンザイ」コールを体全体で浴びた。

 WBA世界ミニマム級王者の崔漸煥(チェ・ジョムファン)との最軽量級とは思えないスリリングな打撃戦。好勝負の果てに、長くて暗いトンネルで喘いでいた日本ボクシング界に光が差した。日本人の世界戦挑戦失敗記録を21で止め、大橋は「救世主」となった。

「エリートとか、そういうイメージでしょ。『150年に1人の天才』なんて言われてね。でも、全然違いますから。負けて強くなっていったんですよ」

 アマチュア出身の有望株として名門・ヨネクラジムからプロデビューし、2度世界王座に就いた。傍目には、栄光に満ちた現役生活に映る。リングを去り30年。58歳の大橋は、そんな見立てをすぐに打ち消した。

「(井上)尚弥のようなモンスターとは違って、俺は何度も木っ端みじんにされた。その一つ一つの破片を集めていって、ステンドグラスじゃないけど、なんとか人と違う色になるしかないな、と思っていました」

 自らのボクシング人生を、さまざまな色の小片を結合させたステンドグラスに例えた。

給食にも口をつけず…中学時代から1日1食

 1965年、横浜市に生まれた。5歳上の兄・克行の影響を受け、おもちゃのグローブを着けてボクシングを始めた。1976年10月10日、具志堅用高がファン・ホセ・グスマンを破り、WBA世界ジュニアフライ級(現ライトフライ級)王座を獲得。テレビでその勇姿を目にした小学6年生の大橋は衝撃を受ける。

「世界王者になるには太らないで小さい方が得なんだ、と。うちの両親は太っていて、絶対に俺も太る体質だなと思っていたので」

【次ページ】 「お前は駄馬」猛練習を重ねたアマチュア時代の挫折

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