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「暴走行為で逮捕&対戦相手の死亡」平凡なボクサーが天才“浪速のジョー”と死闘するまで…29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”はなぜ実現したか? 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2023/04/06 11:01

「暴走行為で逮捕&対戦相手の死亡」平凡なボクサーが天才“浪速のジョー”と死闘するまで…29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”はなぜ実現したか?<Number Web> photograph by KYODO

1994年12月4日、伝説の「薬師寺保栄対辰吉丈一郎」。中部で視聴率約52%、関東でも約40%を記録した歴史的な一戦だった

 ここから話はややこしくなる。翌92年、休養明けに暫定王者のラバナレスと統一王座決定戦を行った辰吉だが、9RTKOで敗れ王座陥落。正規王者に昇格したラバナレスだが、2度目の防衛戦で辺丁一(韓国)に敗れてしまう。その辺丁一が2度目の防衛戦に選んだのが元王者の辰吉丈一郎だった。1993年7月22日、大阪府立体育会館で正式決定された「WBC世界バンタム級タイトルマッチ/王者・辺丁一対挑戦者・辰吉丈一郎」は前評判も上々で、チケットも飛ぶように売れた。

 しかし、ここでさらなる障碍に見舞われる。王者・辺丁一の負傷欠場が発表されたのだ。そこでWBC本部は、元王者でランキング2位の辰吉と、前王者でランキング3位のビクトル・ラバナレスとの間で「WBC世界バンタム級暫定王座決定戦」を行うように指示。辰吉にとってリベンジマッチとなったこの試合は手に汗握る激闘の末、2―1の判定で辰吉が雪辱をはたし、暫定王座を獲得。記録上は「世界王座返り咲き」と報じられた。

「WBC世界バンタム級統一王座決定戦/王者・辺丁一対暫定王者・辰吉丈一郎」は正式に発表された。にもかかわらず、今度は辰吉の左目が網膜剥離と診断される。「網膜剥離となった選手は現役を引退」というJBCルールに従って、引退措置が取られた辰吉はJBCの支配下選手ではなくなり、試合も中止、獲得したばかりの暫定王座も消失してしまう。つまり、辰吉丈一郎のボクサー人生がここで終わっていた可能性も大いにあったのである。

「暴走行為で逮捕&対戦相手の死」

 戦わずして王座統一をはたした辺丁一が、辰吉の代役として防衛戦の相手に指名したのが、WBC世界バンタム級3位にランクインしていた薬師寺保栄だった。1993年12月23日に行なわれた「WBC世界バンタム級タイトルマッチ/王者・辺丁一対挑戦者・薬師寺保栄」の一戦は一進一退の攻防の末、2―1の僅差の判定で薬師寺が王座を獲得。かつて辰吉丈一郎の腰に巻かれた世界のベルトは、遅れること2年、薬師寺保栄の腰に巻かれたのだ。

 辰吉より2年早い1987年プロデビューの薬師寺保栄は、デビュー戦は判定勝ち、2戦目はKO勝ちと幸先のいいスタートを切ったかに見えたが、その後は連敗。デビュー6戦で3勝2敗1分(1KO)と必ずしも華々しい戦績を飾ったわけではなかった。

 そんな薬師寺には分岐点が2つあった。一つは暴走族時代の後輩との暴走行為が発覚し逮捕、16日間勾留され、日本ランキング剥奪と半年間の対外試合禁止処分を言い渡されたこと。もう一つは、1990年6月14日に札幌で行われた元日本バンタム級5位の米坂淳(北海道)との一戦で、最終10RにKO勝ちを収めたものの、試合4日後に対戦相手の米坂が硬膜下血腫、脳浮腫、脳挫傷で亡くなったこと。この2つである。

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