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「暴走行為で逮捕&対戦相手の死亡」平凡なボクサーが天才“浪速のジョー”と死闘するまで…29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”はなぜ実現したか?
posted2023/04/06 11:01
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
KYODO
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日本ボクシング“最後”の国民的行事
昨年は日本国内で行われた世界タイトルマッチが、世界中のボクシング関係者とファンから、いつになく注目を集めた一年だったかもしれない。
「WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦/ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)対村田諒太(帝拳)」(4月9日)を皮切りに「WBA・IBF・WBC世界バンタム級王座統一戦/井上尚弥(大橋)対ノニト・ドネア(フィリピン)」(6月7日)、「WBA・WBC世界ライトフライ級王座統一戦/寺地拳四朗(BMB)対京口紘人(ワタナベ)」(11月1日)、「WBA・WBC・IBF・WBO世界バンタム級王座統一戦/井上尚弥(大橋)対ポール・バトラー(イギリス)」(12月13日)、「WBA・WBO世界Sフライ級王座統一戦/井岡一翔(志成)対ジョシュア・フランコ(アメリカ)」(12月31日)
1年間で5つもの世界王座統一戦が行われた。日本ボクシング史上初めてのことである。
特筆すべきは「井岡対フランコ」以外はすべて「Amazon Prime Video」「dTV」「ひかりTV」といった有料映像配信サービスや定額制ビデオ・オン・デマンドで公開した点にある。テレビの放映料とは桁違いの収益が見込めたことで、これだけのビッグマッチが日本で開催されたのは間違いなく、新しいビジネスモデルを提示したことも含め、関係者にとっては喜ばしい話かもしれない。
ただし、発表と同時にファンを狂喜させ、歴史的興行にして掛け値なしの名勝負ではあったこれらの世界王座統一戦が、世間一般に浸透したとは言い難かったかもしれない。ファンが持つ熱量、興味が「無関心層」にまで届いたかと言うと正直疑わしく、中には行われることさえ知らなかった人も数多いた。「そんなの興味ないんだから当たり前だろう」という意見は至極当然ではあるが、「無関心層」である彼らの世間話において「今度のボクシングどっちが勝つんだろう?」と口の端にのぼることが「国民的行事」であることの裏付けなのだろうと筆者は思う。
その意味で言うと、日本国内で行われたボクシングのビッグマッチへの関心が、ファンやマニアを超えて世間一般に波及、浸透したのは、90年代まで遡らねばならないのかもしれない。1994年12月4日、名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)で行なわれた「WBC世界バンタム級統一王座決定戦/王者・薬師寺保栄(松田)対暫定王者・辰吉丈一郎(大阪帝拳)」の一戦である。
「薬師寺対辰吉」、なぜ実現できたのか?
1994年の師走の決戦。普段はボクシングなど見ない婦人が「今度の辰吉と薬師寺どっちが勝つ?」としきりに訊いてきたことを23歳だった筆者は憶えている。他人の立ち話を盗み聞きする趣味はないが「辰吉と薬師寺どっちが勝ちそう?」と電車の中で話題にしていた男女の姿も記憶にある。無理もない。試合が近付くにつれ、新聞やニュース番組で連日報じていたからだ。