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「僕が一番不満だったのは…」野村克也の“盟友”、江本孟紀が明かす“月見草”の真実「話がよくできすぎている」「実際は月見草ではなく…」
text by
江本孟紀Takenori Emoto
photograph bySankei Shimbun
posted2023/02/11 11:02
楽天監督時代、江本孟紀が解説に球場へと訪れると、訪問をどこか待ち望むように迎える野村克也の姿があった
草柳氏から借りた安岡正篤の『活学』(復刻版は『活学講座』致知出版社)がきっかけになって、その後、孔子などに興味を持つのである。南海を解任されたとき、そして野球を引退して評論家として講演の仕事を始めるとき、野村監督は人生の節目に草柳氏に会ってアドバイスを受けている。
月見草と草柳氏の関係はもちろん僕の想像である。でも遠からず当たっていると思う。というのは、野村監督は人から学んで自分のものにするのが非常にうまいから。
野村監督の「学ぶ姿勢」という才
野村監督は鶴岡(一人)さんのやり方を根性野球と言うが、鶴岡さんこそがメジャーリーグでもまだ行われていなかったデータ野球を初めて行った監督だった。そして鶴岡さんのデータ野球を実際に試合で実行したのが捕手野村だ。
また、阪急のスペンサー起用の成功から学び、自分にはブレイザーを参謀に置き、のちのID野球の土台をつくる。ささやき戦術は山下健さんから吸収したものだ。メディアを使って相手を攻撃する戦略は、三原(脩)さんから学んだ。そして草柳氏から言葉の重要性を学び自分のものとした。
成功者から学び自分のものとして、進化し続けて生き残ったのが野村監督なのである。もちろんこれもひとつの才能だ。
自分の中から出てきたものは、クビにならないがための手段として身につけた“打てる捕手”だけ。叩き上げとは本来こういうものなのだ。
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