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「僕が一番不満だったのは…」野村克也の“盟友”、江本孟紀が明かす“月見草”の真実「話がよくできすぎている」「実際は月見草ではなく…」
text by
江本孟紀Takenori Emoto
photograph bySankei Shimbun
posted2023/02/11 11:02
楽天監督時代、江本孟紀が解説に球場へと訪れると、訪問をどこか待ち望むように迎える野村克也の姿があった
なぜかというと、月見草の花は夕方の咲き始めは白色で、翌朝のしぼむときには薄いピンク色になり、黄色ではないのだ。
それに対して、黄色い花を咲かせるメマツヨイグサは月見草に似ていることから月見草と呼ばれることがよくあり、荒れ地に生育する傾向も高いことから、野村監督の故郷の地域性から考えても咲いている可能性が高い。たぶん、その地域ではメマツヨイグサを月見草と呼んでいたのだろう。間違っても無理のない話である。
ちなみに、太宰治の『富嶽百景』に出てくる月見草は、実際にはマツヨイグサだといわれている。かわいそうなことに月見草はよく間違えられる花のようだ。
生涯一捕手の“生みの親”草柳大蔵氏
この月見草のコメントで、もうひとつ気になる点がある。
話がよくできすぎているのだ。王さん長嶋さんとの対比のために、自分で考えて少年時代の“月見草”を引っ張り出したとは、僕にはどうしても思えないのだ。それこそ太宰治が書きそうな構成ではないか。
月見草は、ノンフィクション作家の草柳大蔵氏の影響を受けて生まれた言葉だと、僕は想像する。
かつて南海の兼任監督を解任されて、一選手としてロッテに移るときに、野村監督は草柳氏と会食した。そのときに草柳氏が言った「禅には、生涯一書生という言葉がある」を受けて「じゃ、僕は生涯一捕手でいきたいと思います」と答えたという。草柳氏の言葉がなければ、“生涯一捕手”という代名詞は生まれなかった。
599号から600号を打つまでに11試合を要している。このプレッシャーから解放されるために、草柳氏を訪ねていてもおかしくない。
会話の中で作家の草柳氏が、野村監督の少年時代、そして荒れ地に咲いていた月見草の記憶に興味を持ったとしても不思議ではない。草柳氏は、そこから王・長嶋をヒマワリに、野村監督を月見草に例えたのではないだろうか。
安岡正篤の『活学』
野村監督に本を読むように勧めたのも草柳氏である。