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「野村克也自身がささやきの被害者だった」江本孟紀75歳が力説する“逆説のノムラ論”「大記録の陰に“逆説的野村再生工場あり”」
posted2023/02/11 11:00
text by
江本孟紀Takenori Emoto
photograph by
Takuya Sugiyama
江本孟紀著『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』を抜粋した内容を特別に公開します。《全3回の1回目/#2につづく》 ※肩書はすべて当時
ささやき戦術はどうやって生まれたか
ささやき戦術は、あたかも野村監督が始めたかのようにいわれているが、それ以前にもささやくキャッチャーはいて、というか、むしろ昔はキャッチャーがささやくのはふつうだった。野村監督自身がささやきの被害者で、その効果を実感して自分でもやるようになったのだ。
阪急に山下健さんというキャッチャーがいた。254勝を挙げた梶本隆夫さんと米田哲也さんが“ヨネカジ時代”と呼ばれたときのキャッチャーだ。
まだかけ出しだった野村監督がバッターボックスに入ると、「野村、最近調子がいいみたいだな。でもちょっとステップが開きすぎてないか?」と山下さんが話しかけてきた。
山下さんは4歳年上なので「うるさい」とは言えず、集中力を乱されていやな思いをしたという。
またある試合では、2ストライクになったところで「この場面なら打たれても大丈夫だから、野村、一本打たせてやるよ」とささやく。試合展開から「本当かな?」と半信半疑の若き野村克也。「簡単に打たせてくれるようなことはなくても、自分の得意なストレートを投げてくるかもしれない」などと思いをめぐらせるが、結果は苦手なカーブで見逃しの三振。むっとしながらバッターボックスを去ろうとする背中に、「ストレートなんてひとことも言ってないぞ」と山下さんのおちょくる声が飛ぶ。ストレートにヤマを張らせるための作戦だったのだ。
おまえ、いいときと比べると…
このような経験を経て、効果的だと思った野村監督はささやきを自分の武器にする。
だが、野村監督はいつもささやいていたわけではない。タイミングを見てポイントを突く効果的な使い方をしていたのだ。