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「僕が一番不満だったのは…」野村克也の“盟友”、江本孟紀が明かす“月見草”の真実「話がよくできすぎている」「実際は月見草ではなく…」
text by
江本孟紀Takenori Emoto
photograph bySankei Shimbun
posted2023/02/11 11:02
楽天監督時代、江本孟紀が解説に球場へと訪れると、訪問をどこか待ち望むように迎える野村克也の姿があった
「この人は口べただから、なんでもないことを言っているけど、実は奥の深い意味があるんだろう、きっと」と、周りの人が勝手に解釈してくれるのだ。
ただ、たいしたことを言っていないという自覚が本人にはあるから、それをカムフラージュするために偉人の言葉などを持ってくる。
野村監督の講演を聴いた人ならわかるが、とにかく話すスピードが遅い。僕が30分ぐらいで話す分量を1時間半かける。
ゆっくり話す人にもそれぞれ個性があるが、野村監督の場合は、次の言葉が出てくるまでの間が長い。その間のせいで、中身が濃い濃くないにかかわらず、つい耳を傾けてしまい、とにかく説得力がすごい。
「なんで、次の言葉がすぐに出ないんですか?」と訊いたことがあるけど、考えてから話すからすぐに次の言葉が出ないのだ。
考えるということは頭がよい証拠。話し方はうまいとはいえないが、考えてから話すので内容がきちっとしていて、中身が濃いかどうかはべつにして説得力がある。だから講演依頼も多かったのだろう。有名人というだけでは、あんなに依頼は来ない。
月見草コメントは1カ月前から準備していた
野村監督の言葉で有名なのは、なんといっても“月見草”だ。
「王や長嶋の存在が自分をこれまで支えてきた。いつも彼らは大勢の前で野球をやり、自分は人の目にふれない場所でさびしくやってきた。花にだってヒマワリもあれば、人目につかないところにひっそりと咲く月見草もある」
1975年5月22日、後楽園球場で600号ホームランを達成したときの試合後のコメントである。このときの観客数は7000人。前年に王さんも600号を記録しているが、そのときの観客数は3万3000人だった。
このコメントは1カ月前から考えていたものだ。先のぼやき会見ではないが、昔から言葉を考えるのは好きだったようである。
ところでこの月見草の比喩だが、少年時代に見た風景から思いついたものだという本人のコメントがある。荒れ地一面に咲く黄色い月見草の思い出が無意識によみがえって、このような発言になったと野村監督は語っている。
黄色い月見草はない…?
せっかくの名言、野村監督の代名詞に水を差して恐縮だが、野村監督が見た月見草は、実際は月見草ではなくメマツヨイグサだったと思われる。