“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「ついにチャンスが来たと思ったら」W杯出場ゼロに終わった町野修斗(23歳)が誓う4年後の忍者ポーズ「日本のエースになりたい」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2022/12/08 11:01
カタールW杯では出場が叶わなかったFW町野修斗(23歳)。4年後のピッチに立つことを力強く宣言した
筆者は町野を高校時代から取材してきた。当時からすれば町野がまさか“1トップ”の役割を任されるようなストライカーになるとは思っていなかった。履正社高時代の定位置は最前線ではなく、1.5列目。いわゆるセカンドストライカーだった。
確かにポストプレーは得意だったが、トップ下の位置までボールを受けに落ちて、そこから前へと飛び出し、そこからドリブルで運んでパスをするシーンが多かったように記憶している。いわゆる器用な万能型だったが、言い方を変えればポジションの適正が掴みにくい選手でもあった。それゆえ、プロの世界では壁にぶち当たった。
転機はJ3北九州への移籍
高校卒業後の2018年に横浜F・マリノスに進むも、チームの激しいポジション争いに苦しみ、1年目での公式戦出場はゼロ。翌年は出場機会を求めて当時J3ギラヴァンツ北九州に育成型期限付き移籍。さらに当初は“プライド”が成長を妨げようとしていた。2つもカテゴリーを落としてしまった現実を、まだ20歳になる前だった町野は受け止めきれなかったのだ。
しかし、キャンプで景色が変わる。
「「正直、北九州に来てから数日は『俺はマリノスでやっていたんだぞ』という思いがありました。でも、そんなことは本当にどうでもいいことで、自分にとって邪魔なことでした。(小林)伸二監督のトレーニングは初日からハードでしたし、『今年は絶対にJ2に上がるんだ』という気持ちがヒシヒシと伝わってきました。それにFW陣はメンバーが揃っていてハイレベル。『相当、頑張らないとスタメンは厳しい』とすぐに分かったので、気持ちは切り替わりました」
目の色を変えた町野はJ3第2節ガイナーレ鳥取戦からスタメンの座をすぐに掴み取った。チームがさらなる強化を目指して同年の8月に高橋大悟と北川柊斗といったライバルを加入させたが、「信頼して使ってもらえるためにはどうすべきかを必死で考えた」と前を向いた。
その中で明確に見えてきたことが「点にこだわる」ことだった。単にゴールを欲するのではなく、自分の武器である高さとスピードをいかにゴールに近い位置で発揮するか。最前線でDFラインと駆け引きをして、時にはフィジカルコンタクトを厭わずにゴール前に飛び込んで行く――スマートなプレーはいらない――貪欲に得点だけを追い求めた。
シーズンが終わる頃には8ゴールを挙げ、前年度最下位だったチームのJ3優勝、J2昇格に貢献した。翌20年もJ2で7ゴール7アシストを記録し、21年にはJ1湘南からオファーを受けるまでに急成長を見せた。