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「ついにチャンスが来たと思ったら」W杯出場ゼロに終わった町野修斗(23歳)が誓う4年後の忍者ポーズ「日本のエースになりたい」 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakuya Kaneko/JMPA

posted2022/12/08 11:01

「ついにチャンスが来たと思ったら」W杯出場ゼロに終わった町野修斗(23歳)が誓う4年後の忍者ポーズ「日本のエースになりたい」<Number Web> photograph by Takuya Kaneko/JMPA

カタールW杯では出場が叶わなかったFW町野修斗(23歳)。4年後のピッチに立つことを力強く宣言した

 フィールドプレーヤーで未出場に終わったのは中盤の柴崎岳と町野だけ。遠藤航、守田英正という絶対的なメンバーと争っていた柴崎とは異なる前線のプレーヤーだけに一層、その悔しさは増す。ベンチで見つめたW杯は今、自分が立っている場所の過酷さ、厳しさを痛感する時間だった。

「湘南では常に試合に出させてもらっていましたから、こういう出場機会が少ない状況は久しぶりでした。それでも、ここにいる選手たちはどんな状況でも常に準備する姿を見ることができた。みんな重圧の中で戦っていた。特に(クロアチア戦の)PKは蹴った選手の肩に本当に凄い重圧がのしかかっていたと思う。もし僕があのピッチにいたら、PKを蹴ることが出来なかったかもしれない。そう思う自分も悔しくて……強い男になりたいです」

「日本のエースになりたい」

 日本代表は、ドイツやスペインというW杯で優勝した経験を持つ強国を倒して決勝トーナメントに進出した。ラウンド16でも前回、準優勝を果たしたクロアチア相手に延長戦に持ち込んだ。下馬評からすれば、大躍進と言っていいだろう。しかし、大会前から問題視されていた『ストライカー不足』の解決は最後まで至らなかった。

 大迫のように最前線でボールを収め、チャンスメイクからフィニッシュワークまで絡める大型センターフォワードの存在は森保ジャパンにとって重要なピースだったはずだ。特にクロアチアとの延長戦では、伊東純也が「まだ体力はあった。前線でボールが収められたら仕掛けられたシーンもあった」と語ったように、ロングボールを多用した時間帯で町野が力を発揮できるシーンはあった。しかし、そこまでの信頼を得られなかった。

「(プロ入りした)4年前はW杯に出るのは夢のまた夢で、かすりもしていなかった。でもつかみ取ることができた。ここから一日も無駄にせずに積み重ねたい。ベスト16の壁を越えるための準備は今から始まっています」

 気持ちが込み上げてきたのか、町野は顔を上げて溢れ出るものを堪えていた。一息ついて、こう宣言する。

「日本のエースになりたいです。守備ができて、ボールを収めることができて、それで点を取れたら『日本のストライカーは町野』と呼ばれるようになれると思う。これからの4年間を大切にしたいと思います」

 J1のピッチさえ踏めなかったスタートから、たどり着いた夢のW杯。それでも、憧れの舞台は近いようで遠かった。ただ、積み上げてきたものがあるから、きっと再び立ち上がれる。「日本のストライカー」の覚醒を待つ。

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