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「甲子園に行ければ18歳で死んでもいい」東大合格と甲子園出場…“ダブル達成”したスゴい人はどんな天才? 100年間で24人だけの奇跡
posted2022/11/19 11:00
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
KYODO
内部進学やスポーツ推薦制度がない東大野球部。チーム力強化の鍵は甲子園経験者の入部だ。本人の能力はもちろんのこと、強豪校の雰囲気や勝負強さを知っている選手が入ることで、チーム全体の底上げになるからである。
しかし、高校時代に甲子園出場(試合出場もしくはベンチ入り)を果たし、なおかつ東大野球部に入部した者は創部100年余りで24人しかいない。
東大の毎年の合格者は約3000人、ひと学年を100万人と仮定すれば、東大に合格できる確率は約0.3%。また、甲子園に出場できる高校球児は毎年、基本的には春32校576人(1校につきベンチ入りは18人)、夏49校882人(同)であり、全国の高校球児の数をおよそ14万人とすれば、甲子園を経験できるのはそのなかの約1%になる。
もちろん、受験は個人戦で野球はチーム競技、かつ対象になる数なども異なるため単純に比較はできないが、上記確率を見れば、甲子園出場と東大合格をダブルで達成することが、いかに困難であるか想像に難くはない。
文武両道と言われる東大野球部の中でも、甲子園を経験した彼らは真の文武両道者と言っても過言ではない。彼らは凡人の我々からは想像もつかない神童なのか、はたまた血の滲むような努力の賜物なのか。その生い立ちには強い興味を惹かれる。
本稿では、そんな偉業を達成した2人の東大野球部OBが、高校までにどのような生活を送っていたのかを紹介していきたい。
生まれたときから、東大野球部が目標だった
まずは、2002年のセンバツ大会に出場した楠井一騰(松江北・2008年卒部)のケースを見ていこう。楠井は高校3年の春にエースとして、甲子園のマウンドに上がる。初戦で福井商業に3対5で敗れるものの、6回まで1失点に抑えるなど、エースとして十分なマウンドさばきであった。
甲子園のマウンドで躍動した楠井だが、自身にとって甲子園は通過点でしかなかったという。