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「甲子園でエース、猛勉強で東大合格」のスゴい人生…どんな勉強法だった? 100年間で24人だけの“天才”が明かす「センター数学はまさかの17点」
posted2022/11/19 11:01
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
JIJI PRESS
内部進学やスポーツ推薦制度がない東大野球部。チーム力強化の鍵は甲子園経験者の入部だ。本人の能力はもちろんのこと、強豪校の雰囲気や勝負強さを知っている選手が入ることで、チーム全体の底上げになるからである。
しかし、高校時代に甲子園出場(試合出場もしくはベンチ入り)を果たし、なおかつ東大野球部に入部した者は創部100年余りで24人しかいない。本稿では、そんな“偉業”を達成した2人の東大野球部OBが、高校時代にどのような生活を送っていたのかを紹介していきたい。
甲子園を一度あきらめて退部「母の車で号泣した」
父親の影響もあり、東大野球部への入部が人生の目標になっていたという楠井一騰(松江北・2008年卒)。東大を念頭に置く楠井は島根県一の進学校、松江北に進学する。
進学校では、徐々に勉強から脱落してしまうことがままあるが、楠井のモチベーションはまったく落ちず、愚直に部活と勉強の両立を続けたという。そのストイックな生活には脱帽である。
「前日に予習をして、授業は復習というのが高校の教育方針でした。予習でわからなかったところを、授業で確認するという勉強法です。なので、私は夕方から20時頃まで部活をした後は、ひたすら次の日の予習をしていましたね。予習が終わらなければ寝ないと決めていたので、予習をせずに授業に臨んだことはありません。自主的に朝練をする部員もいましたが、私は勉強時間や睡眠時間を確保するために、夕方からの練習だけに参加していました」
楠井は1年生からエースに抜擢されていたが、東大にむけた受験勉強に専念するため、2年秋で引退することを決めていた。そして、高校野球の集大成として臨んだ2年秋、松江北は県3位となり中国大会に駒を進めるも、中国大会は初戦で大敗。試合の帰り道、母が運転する車の中で楠井は高校野球を惜しんで号泣したという。ここで楠井の高校野球は終わるはずだった。