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「先生が折れた前歯をポケットに…」天才少女・宮下遥が語る“衝撃15歳デビュー”のウラ話「170cmの小学生がバレーボールに出会うまで」
posted2024/07/26 11:03
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
L)Asami Enomoto、R)Jun Tsukida/AFLO SPORT
14歳から始まったバレーボール選手生活に区切りをつけた2024年、宮下遥は30歳になる。
「みんなにビックリされます。『え、30歳?』の『え、』の後に『…』が2つぐらいつく感じ(笑)。14歳とか15歳の頃のイメージが、未だに強いみたいですね」
2024年4月26日、中学生の頃から所属する岡山シーガルズから現役引退が発表された。それから間もなく行われた5月の黒鷲旗男女選抜バレーボール大会ではクラブ史上初の優勝を達成、個人としても大会MVPを受賞して有終の美を飾った。同月16日には、同じく今季限りで現役を退いた川島亜依美と共に引退会見を行った。
激動の時間から解放され、旅行や夜食のラーメンを楽しむ。「現役時代にはできなかったことを満喫できるようになった」と笑みを浮かべる。
「黒鷲旗に14歳8カ月で出て、Vリーグは15歳2カ月でデビュー。まる14年、やりきったので悔いはない。もうお腹いっぱいです」
バレーボールを始めた日、セッターになったきっかけや「忘れられない」と語る日本代表での日々、そして現役引退を決めた理由――宮下遥がさまざまな“あの時”を語った。
「大阪の中学校から誘いが来たよ」
地元・三重県でバレーボールを始めたのは小学1年生の頃。もともとは、レシーブもしてスパイクも打つアウトサイドヒッター。転機は、小学6年生の頃に遠征で訪れた福井で行われたバレー教室。講師を務めたのが岡山シーガルズの選手たちだった。
午前中はスパイクやレシーブ、それぞれ希望するパートに分かれて選手の指導を受ける。午後は集まったチーム同士で練習試合をこなした。
帰宅したあと、母から驚きの報告を受けた。
「大阪の中学校から誘いが来たよ」
小学生の宮下の頭にはいくつものハテナマークが浮かんでいた。