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オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFLO SPORT
posted2022/11/20 11:03
志半ばで病に倒れたイビチャ・オシム。千田通訳はリハビリに付き添いながら夢の続きを聞いている
最初にチームに招き入れられたのは、セルティックでプレーする中村俊輔と、フランクフルトに所属する高原直泰だった。
オシムは発足から半年間、欧州組を誰ひとりとして招集しなかった。ドイツW杯で結果を残せなかった欧州組を「古い井戸の水」として切り捨てるのではないか、という見方もあったが、そんなことはない。
当初から段階に応じて彼らを招集するつもりだったのだ。
「Jリーグが強くならないと日本代表は強くならない、とオシムさんはよく言っていました。国内組でベースを作り、欧州組にはプラスアルファをもたらしてもらう。彼らをしょっちゅう日本に呼び戻していては、疲弊してしまうだろうとも。実際にオシムさんは06年の段階で、俊輔に翌年招集することを伝えていますから」
06年10月、インド遠征への出発直前のことだ。インターナショナルマッチデイを利用して日本に帰国した俊輔が成田空港近くのホテルに滞在していたため、オシムはコーチの反町康治、フィジカルコーチの里内猛、日本サッカー協会総務部の山下敬大、そして千田を俊輔のもとに向かわせた。翌年の親善試合で呼ぶ可能性があることを伝えるためだ。
「オシムさんは『ただし、セルティックで活躍し続けなければならない』と付け加えることを忘れませんでしたけどね」
欧州組の初参戦となったペルー戦は、巻誠一郎と高原のゴールで2-0と快勝した。2点とも俊輔のアシストによるものだった。
活躍した10番・中村俊輔への苦言
だが、オシムは試合後の会見で、自らの目に映った俊輔をこう語った。
「今日の試合は、彼にとって難しい試合だった。彼自身も何か特別なことをやろうという気負いがあった。すべてのパスがナイスパスとなることを狙っていたのかもしれない。だが、世界中探してもそんな選手はいない。彼がやるべきは単純なプレーであり、天才ぶりを発揮する場面というのは何回かに1回だ。いつも天才であろうとすると、結果は無残なものになる。ただし、今日の中にもいいプレーはあっただろう」
当の俊輔はこの発言を翌朝のスポーツ紙で知り、ショックを受けることになる。
オシムはなぜ、メディアを通じて厳しい言葉を投げかけたのか。
「試合直後は選手も興奮していて頭の中が冷静じゃないから、ロッカールームで課題や反省点を伝えないようにしている、ということは言っていました。ただ、代表チームはクラブチームと違って、試合の次の日がない。試合後に解散してしまうから、反省会ができない。だから、メディアを利用したというのはあったと思います。このコメントの直前には俊輔を褒めているので、褒めながら改善点を提示したと。試合の記憶がフレッシュなうちに伝えたかったんでしょうね」