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オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFLO SPORT
posted2022/11/20 11:03
志半ばで病に倒れたイビチャ・オシム。千田通訳はリハビリに付き添いながら夢の続きを聞いている
アジアカップを戦い終えたオシムジャパンは07年9月、いよいよヨーロッパへと旅立った。オーストリアのクラーゲンフルトで開催される3大陸トーナメントに参加するためだ。
1994年から2002年までシュトゥルム・グラーツの指揮を執ったオシムにとって、オーストリアは第2の故郷と言える国である。旧知の記者や教え子たちも日本代表の練習場を訪れた。温かい歓迎ムードのなかで日本は、1年後に行われるEURO2008の共同開催国であるオーストリア、スイスと戦った。
オーストリアとの初戦は0-0に終わり、PK戦の末に敗れた。
続くスイス戦は2点を先行され、苦しい展開でハーフタイムを迎える。そこでオシムが選手たちを叱りつけた。
「このときは正真正銘、怒っていましたね。『なぜ試合前に確認したことができないんだ! 怖がるんじゃない!』って」
オシムの喝が効いたのか、日本の反撃が始まった。俊輔がふたつのPKを決め、さらにFKから巻のゴールをお膳立てして逆転に成功。その後、3-3の同点にされたが、後半のアディショナルタイム、中村憲剛のシュートを相手GKが弾いたところを、矢野貴章が蹴り込んで決勝ゴールが生まれた。
「オシムさんは本当に嬉しそうで、『10年に一度あるかどうかのゲーム』と讃えていました」
その1カ月後、ホームでエジプトを4-1と一蹴し、07年最後の代表活動を白星で締めくくった。
試合後、オシムは「いくらかは進歩していると申し上げておこう。ゲームの進め方の密度は濃くなっているし、サッカーらしいプレーをしようとする試みは増えている」と珍しく選手を褒めるのだ。
「もちろん、さらに進歩しろ、というメッセージだったと思います。でも、オシムさんが手応えを掴んでいたのは事実でしょうね」
オシムが頭の中で描いていた「次の段階」
ところが、エジプト戦から約1カ月後の11月16日の未明、オシムが急性脳梗塞で倒れ、日本代表監督を退任することになる。
こうして、オシムと選手たちの冒険は志半ばで、ストンと幕が降りてしまうのだ。
「『ここからは強い相手と戦うためのトレーニングをする』と言っていた矢先に倒れてしまって。ポゼッションの練習はしていたけど、守備の練習や速攻の練習はしていなかった。オシムさんの頭の中には次の段階があったんでしょうね」
その後、千田はオシムのリハビリに付き添いながら、断片的に夢の続きを聞いた。オシムジャパンの未来像のキーワードを挙げるなら、ひとつ目は「変幻自在」となる。
「オシムさんが理想としていたのは、変幻自在なチームだったと思います。ボールをコントロールしてゲームを支配することもできれば、引いて守って鋭いカウンターを繰り出して、強豪国に対してサプライズを起こす。そういう日本代表を作って、世界にお披露目するのが夢だったと思います。実際、フォーメーションひとつ取っても、4-4-2、4-2-3-1、3-4-3、3-5-2といろいろやっていたし、試合の中で選手が話し合ってフォーメーションを変えたゲームも、何回もありましたからね」
もうひとつのキーワードは「エレガント」だ。
「エレガントと言ってもいろいろあると思うんです。ボールを持ってパスを繋いで鮮やかに崩すのもエレガントだし、ひとりで仕掛けて相手を抜いてシュートを決めるのもエレガント。ひとつ言えるとしたら、観客が『面白いな』『美しいな』と感じられるサッカーが、オシムさんの思うエレガントだったのかもしれませんね」
オシムが日本代表監督を退任してから15年が経ち、オシムの指導を受けた選手たち――例えば、中村憲剛が、阿部勇樹が、中村俊輔が次々と現役を引退し、指導者の道を歩み始めた。
彼らがどんな指導者になっていくのか、千田は楽しみにしている。
(つづく/中村俊輔インタビューへ)
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