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オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAFLO SPORT
posted2022/11/20 11:03
志半ばで病に倒れたイビチャ・オシム。千田通訳はリハビリに付き添いながら夢の続きを聞いている
オシムの選手への伝え方はさまざまだ。メディアを通じてメッセージを送ったのがペルー戦なら、コーチを叱ることで意図を伝えたのが、06年10月のインド戦だった。
日本が押し気味にゲームを進めていた前半、セットプレーで相手選手をフリーにしてしまい、あわや失点という場面を招いた。すると、ハーフタイムにオシムがセットプレー担当の加藤好男GKコーチに対して「誰があの選手のマークだったんだ!」と問い詰めたのだ。
「好男さんは恐る恐る『アレックス(三都主アレサンドロ)です』と(笑)。アレックスはびっくりしたでしょうね。でも、オシムさんは『そうか』と言って、アレックスに対しては何も言わない。それで十分だと分かっていたのでしょう」
そうかと思えば、よりストレートに選手たちに訴えかけることもある。
07年7月に行われたアジアカップでのことだ。準々決勝へと勝ち進んだ日本の相手は、オーストラリア。1年前のドイツW杯で1-3と敗れた因縁の相手である。イングランドでプレーする身長188cmのマーク・ビドゥカ、スペインでプレーする身長185cmのジョン・アロイージが並ぶ前線の破壊力は抜群だった。
オーストラリアとの対戦が決まると、オシムは夕食後に守備陣を残し、テーブルをどかせて車座りさせ、「おまえたち、怖いか。怖かったら、ストッパー2人じゃなくて3人にしてもいいぞ」と焚き付けた。そんなことを言われて、中澤や阿部勇樹が奮起しないはずがない。
そのあとのトレーニングでは巨漢である自身がビドゥカ役をこなし、マークの仕方などを中澤や阿部にレクチャーしたのだ。
迎えた準々決勝で日本は1-1からPK戦の末にオーストラリアを破り、ドイツでの負の記憶を払拭することに成功する。
オシムが激怒…“通訳が号泣”の真相
このアジアカップで千田にとっては忘れられない記憶がある。事件はグループステージ初戦のカタール戦後のロッカールームで起こった。
試合は60分に高原のゴールで先制したが、終了間際に阿部がファウルを犯してフリーキックを与えると、それを直接決められてドローに終わった。
試合後のロッカールームでオシムが選手たちに激怒し、その剣幕に気押された通訳が泣いた――。
そう報じられているが、これは事実ではない。
オシムが怒ったのは選手ではなく、あるスタッフだった。そのスタッフが阿部を慰めたところ、オシムが「ミスをしっかり受け止めないから、繰り返すんだ!」と怒ったのだ。
オシムは常日頃から「ドンマイ」「切り替えよう」という、いかにも日本的な、責任の所在を曖昧にする言葉を嫌っていた。
ただし、この場面を千田は見ていない。だから、千田が泣いたのは、別の理由による。
オシムはロッカールームで選手たちに対して諭すように語りかけた。訴えた内容はこうだ。
「プロは仕上げが肝心なんだ。せっかく満タンにしたミルクを、おまえたちは最後にひっくり返してしまったんだぞ。俺はそういうやり方で生きていない。命懸けでやっている」
この「命懸けでやっている」という言葉が、千田の琴線に触れた。
開催地・ベトナムの猛暑は66歳のオシムの体を蝕んでいた。体調を崩したオシムは選手に知られないようにメディカルチェックを受けたが、数値は芳しくなく、大会終了後に再検査を受けることになっていた。
「オシムさんが本当に命懸けで指揮を執っていたことを知っていたから、感極まってしまったんです。それをミックスゾーンで俊輔が『通訳が泣いた』と言ったものだから、メディアに『オシム、通訳が泣くほど激怒』と書かれてしまって」
それを通信社が英語で配信し、さらに海外の通信社も配信し、ボスニアの新聞に掲載された。それを読んだサラエボの友人がオシムに連絡し、「あまり怒らないでやれよ」と伝えたようだ。
「オシムさんから『俺が恥ずかしいから、もう泣くなよ』と言われました(苦笑)」