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「そんなもん、こっちが指名しちまえ!」ドラフト会場に響いた大沢親分の“喝” 松坂、菅野、長野…日本ハム「強行指名」信念の原点
posted2022/11/19 17:09
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
近年のドラフト会議で、プロ野球ファンの注目を集めてきたのが日本ハムの指名選手だ。「その年の一番いい選手を指名する」という方針のもとスター選手を次々と獲得するとともに、巨人と相思相愛だった菅野智之や長野久義を指名するなど、球界の“暗黙の了解”にも一石を投じてきた。伝説的なスカウトとして活躍し、2007年から14年までGMとして日本ハムの黄金期を作った山田正雄氏(現スカウト顧問)に、揺るがぬ信念の源を聞いた。(全3回の#3/#1、#2へ)
山田氏がスカウトに転身したのは1986年のこと。1973年にロッテで現役引退後、一般企業に10年以上勤めた後に球界復帰した。当時の日本ハムは“冬の時代”。スカウトとしての駆け出しの時期は、不人気球団にいかに有望選手に来てもらうか、苦心の連続だった。
「セ・リーグ全盛の時代で(アマチュア界で)日本ハムと言っても相手にしてもらえませんでした。はっきりと“日本ハムにだけは行かない”と門前払いされたこともあります。“人気がないから嫌だ”とか、“東京に行くならジャイアンツだ”とか面と向かって言われて、悔しい思いもしました。当時は本当に大変でしたね」
忘れられない指名劇がある。スカウト2年目だった1987年のドラフト会議でのこと。帝京高で甲子園に3度出場し、ノーヒットノーランも達成した右腕の芝草宇宙に注目が集まっていた。ただ、そこには暗黙の“縛り”があった。「芝草は3位以内、ジャイアンツしか行かない」。日本ハムは、はなから指名を諦めていた。
ところが、いざドラフト会議が始まってみると、当の巨人がいつまでたっても指名をかけない。元日本ハム監督で、当時はフロント入りしていた“親分”大沢啓二がしびれを切らして叫んだ。
「なんだ、ジャイアンツは指名しないじゃねえか! そんなもん、こっちが指名しちまえ!!」