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「そんなもん、こっちが指名しちまえ!」ドラフト会場に響いた大沢親分の“喝” 松坂、菅野、長野…日本ハム「強行指名」信念の原点
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/19 17:09
「意中の球団以外は社会人入り」を表明していた横浜高時代の松坂大輔。それでも指名に踏み切った日本ハムの思いとは…
松坂は当時、早くから地元球団の横浜(現在のDeNA)を希望し、「意中の球団(横浜)以外は社会人入り」を表明していた。強行指名か、諦めるか--。98年11月、横浜市内のホテルで、松坂と当時の横浜高・渡辺元智監督とを前にした面談が行われた。横浜をトップバッターに、西武、ヤクルトと続き、日本ハムは最後だった。意中外である西武、ヤクルトはいずれも苦戦。18歳の松坂の態度は頑なだった。
ぽつり、つぶやいた松坂の母の言葉で
「先に挨拶していた西武とヤクルトのスカウトに聞いたら、“全然ダメだよ。けんもほろろだ”と。うちもダメかな、と覚悟していました。ところが部屋に入ったら、松坂本人が予想外にニコーって、明るい顔で笑いかけてくれたんです。これは……と思ってね」
“直感”をさらに後押しする出来事があった。山田氏との面談終、松坂は会見し、マスコミを前に「意中の球団以外は社会人という自分の気持ちは変わらない」とあらためて表明した。この記者会見を聞いていた山田氏の横に、松坂の両親が立っていた。
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「山田さんはずいぶん前からうちの息子に会ってくれている。人間っていうのは、そういう情もあるんですよ……。私も日本ハムさんには非常に好意を持っています」
ぽつり、そう口にしたのは松坂の母だった。
担当スカウトだった山田氏は、唯一無二のスター選手である松坂獲得のために心血を注いできた。横浜高から山を越えたところにある練習場までの道のりは、他のスカウトがみなタクシーで向かうところを、一人だけ山道を歩いて松坂を“待ち伏せ”。「こんにちは」と挨拶の声をかけて顔を覚えてもらった。甲子園でも他の試合は一切見ずに、横浜高の練習を追った。松坂の祖父が稚内出身と聞けば、知人の伝手をたどり稚内まで足を運び、松坂の母とも、友人経由で知り合いドラフト前から色々な話をしていた。
「色々な事情はあるのでしょうけど、こちらの思いは伝わっているのかもしれない、と。ここは引かずに指名しようと結論を出しました」
ヤクルトは指名を断念したが、最後まで思いを貫いた日本ハムと西武、意中の横浜が1位指名。くじを引き当てた西武の入団交渉が実り、松坂は前言撤回しプロ入りを選んだ。
「あの時クジを引き当てていたら、と今でも思います。日本ハムに来てくれていたら色々なことが変わっていたでしょう。逃した選手、という意味で一番残念だったのは松坂かもしれません。ただ、あの時に引かずに指名できたことは本当に良かった。表情や態度を見て人間の情を読み解く、という意味でも勉強になりました」